「おじさん構文」ににじむことばの加齢臭

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2026年08月26日

「おじさん構文」という用語が定着して久しい。過剰な絵文字や顔文字、唐突なテンション、一方的な自分語り、「~カナ」「〜だよん」といった語尾がその典型とされる。試しに「おじさん構文の典型例」を生成AIに作らせると、次のような文章が出力された。

〇〇ちゃん、今日も元気カナ?(^_^)若い皆さんの挑戦、楽しみにしてます☆彡。昔、某プロジェクトで10億売上達成したことがあるけど、若手が派手にやらかして大変だったな~(笑)。でも◯◯ちゃんの笑顔と度胸があれば大丈夫…カナ(^_-)-☆ 老婆心ながら一言だけ…プレゼンは元気が一番。一応MBA卒なんで、何かあれば相談に乗れますよ〜。今ヒマだし(;^_^A 陰ながら見守ってます₍₍٩(*ˊᵕˋ*)۶⁾⁾ファイトー

かなり誇張された例文だが、ここで考えたいのは、使われている絵文字や語尾が古いかどうかという表面的な問題ではない。おじさん構文がしばしば違和感をもって受け止められるのは、文体の古さよりも、その背後にある距離感の古さゆえではないだろうか。

文体には、その人がかつて身につけた他者との距離の取り方が残る。かつての職場や地域社会では、年長者や上司が若い相手にくだけた調子で接することが半ば当然のように許されていた。冗談を言い、励まし、昔話を交えて助言する。多少の押しつけがましさはあっても、それは面倒見のよさや気さくさとして受け入れられる土壌があった。

ポイントは、このフランクさが対等な関係から生まれたものではないことだ。年齢や役職で立ち位置が固定されていたからこそ成り立つ親しさであり、だからこそ下位者から上位者へのフランクな振る舞いは「無礼」とみなされる非対称性があった。かつての職場や地域社会におけるくだけた態度は、緊張に対する親愛の表現というより、暗黙の上下関係を確認しあう作法だったと思われる。

ところが、いまはその前提が大きく揺らいでいる。組織のフラット化や価値観の多様化が進み、年齢や役職、性別といった属性だけで人の立ち位置が決まる時代ではなくなった。もちろん上下関係そのものが消えたわけではない。しかし、その実態は、仕事の成果や専門性、コミュニケーション能力など様々な物差しに左右されるようになった。組織や人間関係の流動性が高まったこともあり、上下関係そのものも以前に比べれば緩やかになった。

ここに、おじさん構文の悲しき「ねじれ」が見出せる。その使い手は無意識のうちに「教え、導く側」の役をとり、励まし、親しげに呼びかけ、過去の成功体験を語りたがる。とはいえ、かつて支えになっていた年齢や役職、性別では自らの立ち位置を説明しにくくなった。いまの自分が思うほどには、相手が自分をそう見ていないかもしれない。だからこそ、嫌われないように絵文字で装飾し、冗談でごまかし、「一応」「老婆心ながら」と予防線を張るのだ。

その結果、上から目線なのにどこか不安げで、親切なのに重いという奇妙な文体が生まれる。読み手が感じる違和感は、絵文字の多さではなく、こうした傲慢と卑屈の同居にあるのではないだろうか。

むろん、これを中高年男性の問題として一笑に付すことはできない。どの世代にも、その時代、その環境で染みついた心地よい距離感がある。いま当たり前のように使われているSNSの文体も、社会の前提が変わればいずれ古びていく。次世代には別の“おじさん構文”と呼ばれている可能性は十分にある。

背景を考えれば同情の余地があるおじさん構文だが、「おじさん」とラベリングされてしまうのも、若手にとってその距離感が少なからず迷惑だからだろう。自分では気づきにくく、悪意はないが、消そうと思ってもなかなか消せないという点は「加齢臭」に例えられる。陰で苦笑されないよう、せめてエチケットとして自分の文体を点検する努力は忘れないでいたい。

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鈴木 文彦
執筆者紹介

政策調査部

主任研究員 鈴木 文彦