理事長メッセージ

不確実な時代に
未来を切り拓く政策に結実させる
成果を生み出せるよう

株式会社大和総研 理事長

中曽 宏

Hiroshi NAKASO

MessageChairman of the Institute

昨年来、世界経済はコロナ禍に加えロシアによるウクライナ侵攻という大きな出来事に遭遇しました。これが契機となってエネルギーや食糧の価格が高騰し世界のインフレを加速させました。地政学的なリスクの高まりに企業は身構えました。こうした一連の事象を踏まえ、少し長い目で歴史を振り返ると、ベルリンの壁が崩れ東西冷戦が終わってから30年余にわたって世界経済の拡大を支えてきたメカニズムが転換点を迎えているようにも見えます。以下ではそうした問題意識から、経済・金融危機、インフレ高進、世界経済の分断リスクの3点を取り上げます。これらの事象は、一定の因果関係を伴いながら連続的に発生してきたように窺えます。

第一の経済・金融危機については、冷戦終結後最初に大きな危機に見舞われたのは日本でした。日本の金融当局は、1990年代の金融危機対応で「小さすぎて遅すぎる」という厳しい批判を内外から浴びながらも、危機の海外への波及回避に注力しました。10年後、リーマン・ブラザーズの破綻を契機に深刻化した国際金融危機に対して各国は協調して対処しましたが、グローバル化した世界で危機が世界中に伝播することは防げませんでした。2020年に勃発したパンデミックへの対策では、過去の危機で得られた「政策の出し惜しみと手遅れはいけない」という教訓に基づき、主要国では金融財政の両面から各種政策手段が迅速かつ大規模に発動されました。米国FRBのバランスシートがパンデミック以前の2.4倍にも膨れ上がったことがそれを物語っています。これらの措置が、金融危機に至る前の段階で事態の深刻化を食い止め、経済の大きな落ち込みを回避したことは間違いありません。

半面、危機対応手段を大規模に、長期にわたって発動してきた結果、新たな問題の種を蒔いた可能性があります。世界的な高インフレはその一例であり、指摘をしたい第二の点です。コロナ禍による物流の混乱といった供給要因に、行動制限解除後の消費の回復といった需要面からの効果も相まって、欧米を中心に物価が急騰しました。それを増幅した一因として、金融・財政面からの大規模支援が影響した可能性を排除することはできないでしょう。従来は、低インフレ下でデフレマインドが定着する「日本化」を恐れて、物価が目標を上振れることを敢えて許容する金融緩和姿勢を維持してきた欧米の中央銀行は、金融引締め方向へと急速に政策の舵を切りました。米国の物価上昇の内訳を見ると、賃金が上がり続けていてサービス価格は高止まりしています。物価を2%目標まで確実に下げるためには、FRBは従来市場が織り込んできたよりも長い期間、引締めを続けるかもしれません。逆に、そうしないと、物価上昇率を2%に戻すことは難しいでしょう。その意味で2023年中、米国の景気後退は不可避と考えられますが、米国経済は頑健性を備えています。すなわち、家計も企業もバランスシートは総じて健全ですし、何よりも国際金融危機時と異なるのは、金融機関が損傷を受けておらず、景気回復を支える機能が維持されていることです。したがって、仮にリセッションに陥ることがあっても、比較的早く景気回復を実現できるでしょう。この点は今後の世界経済にとってプラスの材料です。

第三に、世界経済に影を落とす地政学的リスク、特にウクライナ戦争の帰趨です。日本を含む西側主要国はロシアに対して厳しい経済制裁を課しました。ドルを含むロシアの対外資産の凍結、銀行間国際通信システムであるSWIFTからのロシア主要銀行の排除、一定の価格以上で販売されるロシア産原油の海上輸送に対する保険付保の禁止などの措置です。基軸通貨ドルの使用やSWIFTも、海上保険も、これまでは政治体制の如何に関わらず、どの企業でも利用が可能な、グローバル化を促進する「公共財」的な仕組みでした。それに対するアクセスを制裁によって遮断しようとすれば、インパクトが大きい措置だけに、代替的な仕組みを構築しようとする動きが出てくることは避けられません。内外の多くのビジネスリーダーは、経済制裁の「武器化」が世界経済の分断リスクを高めることに懸念を深めています。また、米国政府が標榜している「Friend-shoring Supply Chains」構想—サプライチェーンを、価値観を共有する友好国で完結させる構想—は、企業にとっては従来の「効率性」から万一に備えた「安定性」や「強靭性」重視への行動変容を迫ります。これは、日本企業がこれまで追求してきた「just in time」から「just in case」へのシフトを意味しています。企業はサプライチェーンの再構築、二重投資、在庫の積み上げといった追加的なコストを強いられることになります。インフレ圧力もその分増します。冷戦終結以降、約30年間にわたってグローバル化を促し国際経済秩序を支えてきた「コスト効率」や「自由なマーケットアクセス」などの基本原則は、地政学的リスクの高まりによって変質を迫られているように見えます。

以上見てきたように、グローバル化の過程で金融危機の伝播速度は速まり、各国の政策対応の規模も巨大化しました。必然的に景気の振幅も大きくなりました。これに伴う物価上昇に対処するため、欧米の金融政策は引締め方向へと急展開しました。2022年にはウクライナ戦争を契機とした地政学的リスクの高まりから世界経済の分断リスクが意識されました。国際経済秩序も金融政策も転換点を迎える中で、世界経済を取り巻く環境には、かつてないほど不確実性が高まっています。企業経営にとっては難しい環境となりましたが、不確実性の中に潜むチャンスに活路を見出す姿勢が求められています。経済対策の面では、国際ビジネスにとっての不確実性を除去する観点から、最低限、経済制裁という武器が無秩序に使われることのないよう多国間の合意に基づくルールを設けることが必要でしょう。日本経済にとっては、外生的ショックへの耐性を高める観点から、現在は「ゼロパーセント台前半」と推計されている潜在成長率を高めていくことが一層重要になります。成長力は資本蓄積や技術革新によって引上げていくことができます。この点、「脱炭素化」は、巨額の投資と新しい技術がドライバーになるので、長い目で見ると日本で不足してきた成長要素を補う恰好の成長戦略となります。今年も日本経済の「海図なき航海」は続きますが、光は見えていると思います。