CBAMと競争力:問われるべきは「価格」か、それとも「信頼性」か
2025年06月30日
2026年1月からEUのCBAM(炭素国境調整措置(※1))が本格稼働する。英国などでも同様の制度導入が続き、国境を越える製品の炭素排出にコストが課される動きが進み始める。これに対し国内では、今後導入が進むカーボンプライシング(GX-ETSや化石燃料賦課金(※2))によって企業が将来的に負担する炭素価格が、CBAMによる負担の控除対象として認められるかどうかが注目されている。
こうした動きは本質的にはどう捉えるべきなのか。筆者は「価格」よりもむしろ「データの信頼性」が、業種を問わず全企業にとって重要な要素になるという、構造的な変化に注目すべきと考える。なぜなら、CBAMは単なる価格調整ではなく、製品ごとの温室効果ガス(GHG)排出量を正確に測定し、厳格な第三者検証を経て報告されたデータに基づき運用されるという「信頼性」の担保が核となっているためだ。
CBAMの対象が鉄鋼やアルミニウムなど6分野に限られていることから、日本企業の中では「自社にはまだ関係がない」とみる向きもあるかもしれない。しかし、対象となる分野や品目は今後拡大する見込みである。さらに重要なことに、CBAMを契機に、自動車や電機などの最終製品メーカーから部品や素材のサプライヤーに対し、製品ごとのGHG排出量データ提出を求める動きが広がっている。これにより、直接の対象外である企業も、サプライヤーとしてデータ開示への対応が必須となっている。
GHG排出量データの信頼性の確保は、企業にとって事業の基盤となりつつある。国際的に通用するMRV(測定、開示、検証)体制の構築は、企業にとって単なるコストではなく、次のような多面的な便益をもたらす。第一に、「守り」としてのリスク管理である。データ不備で課される追加コストや、ESG評価における投資家からのディスカウントといったリスクを低減できる。第二に、「攻め」としての競争力強化である。緻密なデータで自社製品の低炭素性能を客観的に示すことで、サプライチェーンにおける差別化要因となり得る。そして第三に、「未来」に向けた資金調達力の強化である。サステナビリティ・リンク・ボンド等では、野心的な目標設定が投資家から厳しく評価されるが、その達成度を客観的に裏付ける信頼性の高いデータは、有利な資金調達を実現する上でカギとなる。
幸い、日本でもその整備基盤が進み始めている。従来の地球温暖化対策の推進に関する法律(温対法)に基づくSHK制度(※3)は、国全体のGHG排出量把握を主目的としており、製品ごとの算定など国際的な要求水準を完全には満たしていなかった。しかし、2025年5月に成立した改正GX推進法では、GX-ETSの対象事業者に第三者検証が初めて義務付けられた。これは、国際整合性を意識した大きな一歩と言える。各企業が構築するデータの信頼性は、個社の競争力のみならず、GX-ETSという制度そのものの国際的な信頼性を裏付ける礎ともなる。制度の詳細が固まるのを待つのではなく、国際標準などを参考に、第三者検証に耐え得るMRV体制の構築に今のうちから進めておくことが不可欠である。
もちろん、炭素価格の水準が重要であることは論を俟たない。しかし、その水準を巡る国内外の複雑な調整の行方を待つよりも、企業が今すぐ自律的に進められるのが「データの信頼性」の確保である。この信頼性という新たな競争基盤を築くことこそ、企業、ひいては国全体の持続的な価値向上に直結する「無形資産」への戦略的投資に他ならない。
(※1)Carbon Border Adjustment Mechanismの略。EU域内での炭素価格(EU-ETS)を輸入品にも課し、域内外の競争条件を公平化するための措置。
(※2)CBAMで控除対象となるのは、企業が政府に直接支払うコスト。日本では、化石燃料賦課金(2028年度〜)や、GX-ETS(排出量取引制度)における有償オークション(2033年度〜)がこれに該当するかが焦点。
(※3)「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」の通称。GX-ETSとは異なり、原則として第三者検証が義務付けられていない。
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金融調査部
主任研究員 依田 宏樹