まちづくりと書いてチームビルディングと読む

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2026年05月18日

放置されたシャッター街、廃墟化した公共施設、空きが目立つ駅前再開発。考えるに、こうした失敗の根底にあるのは「まち」に対する誤解である。

一般に、まちづくりとは都市開発や公共施設整備を指し、街区や建物を整える営みとして理解されることが多い。いわば、目に見える都市インフラとしての「まち」である。「街歩き」と聞いて思い浮かべるのは、歩いて楽しい街路や、個性的な店舗が連なる景観であろう。

しかし、同じ「まち」でも「わがまち」が指すものは明らかに異なる。そこには、地域に根差した風習や文化、人と人との関係、さらには暗黙の了解や役割分担といった社会的なつながりが含意される。「下町人情」や「村の掟」のような言葉が想定する“町”や“村”は建物の集合体ではない。関係の編み目として成立する場である。

まちの二面性は、商店街の定義に端的に表れる。商店街は、商店が軒を連ねる通りであり、商店主等を構成員とする組織でもある。前者が物理空間であれば、後者は社会関係に属する。いずれか一方だけでは商店街は成り立たない。シャッター商店街の問題の背後には、アーケードや店舗の老朽化だけでなく、世代交代や新規参入が滞ることによる組織としての疲弊もある。

にもかかわらず、まちづくりの議論は往々にして空間整備に偏り、再開発や施設整備が先に立つ。その矛盾は資材高騰や人手不足によるプロジェクトの頓挫などの形で現れる。よしんば再開発ビルが完成しても、テナントが埋まらず来街者は想定を下回る。鳴り物入りで整備した公共施設の稼働が伸びず、維持管理と修繕負担が課題に残るケースが少なくない。

まちの誤解は、地方移住の失敗とも通底する。憧れるのはひなびた田園風景だが、つまずくのは地域の行事や慣習、人間関係の現実だ。農村では地域と職域が重なり合い、生活と仕事が分かち難く結びついている。都市的な職住分離の感覚のままではコミュニティに適応できない。

以上が示すのは、まちの社会関係としての本質である。さらに、まちの社会関係は、経済的な自立なしには維持できない。どれほど魅力的な都市空間でも、そこに仕事と生活の循環が伴わなければ成り立たない。まちとは経済的なエコシステムである。

では、まちを再生するには何から手を付けるべきか。新たな事業が生まれ、雇用が生まれ、そこに住む人と訪れる人が増えるというプロセスを踏まえれば出発点は仕事づくりにある。この点でまちづくりは仕事づくりだ。また、空き家・空き店舗でスポンジ化した街の課題は、その場所を引き受けて新たに事業を営む人材を探すことである。要するに事業承継支援という側面もある。

そう考えれば、まちづくりの推進役と目される自治体や地域金融機関に求められる役割も明確になる。まずは空き家・空き店舗のオーナーを探し、利活用の理解を促すこと。同時に、これが最も重要だが、創業意欲を持つ担い手を見つけ、事業ベースに乗せる支援をすること。その上で、両者のマッチングを念頭に置いた公開プレゼンの場を設けることだ。

まちづくりには街の将来ビジョンの設定が必要だ。まちの本質が社会関係であれば、関係の総体である組織を構築するには戦略が不可欠だからだ。関係をつくるにも保つにも、メンバーが同一の方向を共有することが前提となる。まちづくりと書いてチームビルディングと読むくらいで丁度よい。

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鈴木 文彦
執筆者紹介

政策調査部

主任研究員 鈴木 文彦