「新聞が消える日」は来るか
2011年01月06日
活字離れが語られて久しい。情報手段が著しく多様化、低廉化した昨今では、とくに若い世代に顕著のようだ。
1924年創刊の雑誌『キング』は、低価格と平易な内容で100万部を超える発行部数を誇っていたものの、戦後は精彩を欠き57年に廃刊された。その主因はラジオやテレビの普及にあるといわれる。今流に言えば、媒体の多様化に伴う活字離れによる、というわけだ。だが、60年代には少年・少女雑誌が発行部数を競い合い、大人向けの雑誌も元気だった。活字媒体の衰退を活字離れだけのせいにするのはいかがなものか。
また、90年代後半はITの凄まじい進化で「紙は不要になる」とまで騒がれたものである。ネット画面やeメールが手軽に使えるので、紙などいらないというわけだ。しかし、この間、95年~2005年の印刷用紙の需要量は約1070万トンから約1200万トンへ12%も増加している。事態は思ったほど単純ではなかった。
活字離れといえば、最近は新聞があまり読まれなくなった。朝夕刊セット部数はこの10年間で20%も減っている。100年以上メディアの王様として君臨してきた新聞になぜ元気がないのか。活字離れの一言で片付けられる話ではないと思う。ここでしっかりと認識すべきは、「世の中には事柄が見えない者が1000人いる反面で、目利きも1000人いる」という事実だろう。様子がはっきり分からないうちは前者が圧倒的に多いが、次第に後者が増えていく。だから事が起こった直後は、安易な報道と過激な見出しや内容が持て囃される。しかし、次第に後者が主流になってくると当初の報道は一体何だったんだ、ということになる。要するに最終的には正確で中立的な報道が評価される、ということ、「質」が決め手になるということである。
いわゆるクォリティ・ペーパー(QP)かどうかが新聞の将来を決めるのだろうと思う。この点で最近気になるのが、QPだったはずの大新聞の一部にすら、まるで扇情的な大衆週刊誌のような見出しや記事が散見されることである。これなら150円出して毎朝、朝刊を求めるよりもゴシップ中心の週刊誌を買うほうが安くつく。ましてネットならタダだ。反対に質の高い品格ある内容であれば200円出しても新聞を買う。近い将来、新聞が消えてしまうかどうかは、まずもって記事のレベルと報道振りという当然過ぎる基本姿勢にかかっていることを忘れてもらいたくないと感じている。
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