デリーの空気は北京より汚い?
2015年01月15日
「デリーの大気汚染は北京よりひどいらしい」とは、昨年12月の訪印に先立って複数の知人から受けた警告である。確かに、検索サイトに「デリー、PM2.5」などと打ち込めば、その言葉を裏書きする記事などが山のように出てくる。しかし今回の滞在中、空気の悪さを実感することはなかった。久々のデリーで改めて感じたように、彼の地は緑が豊富であり、それが大気汚染をいくばくか緩和しているのではなどと思ったりもした。もちろん、単に運が良かっただけなのかもしれないし、デリーのPM2.5の数値が北京よりも高い日がしばしばあることも事実なのだろう。
とはいえ、長期的な観点から環境問題を捉え直せば、インドはその悪化を抑止する上で、中国よりも有利な条件を備えているように思える。その条件とはインドにおける質の高いメディアの存在である。中国では例えば、某化学企業の工場が河川に汚水を垂れ流しにしていても、それがメディアに糾弾され、その企業が社会的制裁を受けるということが起こりにくい。絶対に起こらないということではないが、それはかなりの程度政府のさじ加減で決まってくる。特に、著しい環境悪化に関しては、政府が自由な報道を認める可能性は低いであろう。それは多かれ少なかれ、政府の失敗という側面を持つからである。インドではメディアが政治から独立しており、その中立性がメディアの質を支えている。このことが環境悪化の一定の抑止力として機能すると期待できるのである。
インドといえば、昨年の政権交代を機に、高成長再開の期待が高まっている。確かにデリーでは、政権交代から半年を経てなお、インドは変わるという期待が官民問わず共有されている。とはいえ、中国流の開発独裁や中央集権体制の確立が期待されているわけではない。多様性の尊重、地方分権は同国の国是のようなものであり、例えばモディ政権が州政府の権限を骨抜きにするような政策を志向すれば、政権への支持は急落し、かえって中央政府の求心力は低下を余儀なくされることとなろう。中央と地方との緊張関係の中で、モディ政権が志向する経済政策が進んだり、進まなかったりするのがインド政治の現実である。モディ首相がマンモハン・シン前首相よりも強い指導力やカリスマ性を備えているとしても、決して鄧小平にはなれないということだ。
そう考えれば、「高成長再開への期待」に根拠がないとは言わないが、その程度については控え目に捉えておくのが無難であるかもしれない。しかし言うまでもないが、インドに中国的成長を期待しがたいことが悪いことであるのかどうかは、全くの別問題である。
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