「強い社会保障」のための子ども手当
2010年07月21日
——ある村では、村人全員が牛を育てて生計を立てていた。しかし、死んだり逃走したり病気になる牛がいるため、運の悪い人は生活に困っていた。そこで、協同組合を設立して牛を共有化し、収入を全員で分けることにした。こうすれば、ある牛が死んでもその損失は全体に拡散されるので、村人たちの生活は安定するはずだった。だが、努力して牛を多く育てても収益が全員に拡散してしまうため、村人たちの牛を育てる意欲は徐々に薄れ、牛の頭数と収入は減少していった。挙句の果てには、牛の世話を人任せにしながら分配金を受け取るフリーライダーまで出てくる始末で、協同組合は「みんなの収入を安定確保する」という当初の目的を果たせず失敗に終わった。——
上の文章を読んで、生産手段を共有化した共産主義の失敗をイメージした人が多いのではないだろうか。「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ことを目指した共産主義は、人々が社会のために自発的に労働参加することを前提にしていた。しかし、人間は自己利益に動かされる動物なので、「努力しても見返りが無い」「他人に任せればよい」となると労働意欲を失ってしまう。そのため、経済は行き詰まり、ついには体制が崩壊してしまった。
実は、このたとえ話が当てはまるものがもう一つある。それは賦課方式の社会保障制度(年金、高齢者医療、介護)である。賦課方式とは「成長した子による老親の扶養」を社会全体に拡大したもので、成長した子世代の所得の一部(保険料)をプールして親世代に分配する(※1)。村人→親世代、牛→子世代と置き換えれば、賦課方式の社会保障制度が牛協同組合と本質的に同じであることが分かるだろう。
社会保障制度はまだ崩壊していないが、これは、子孫を残すという本能が出生率低下の歯止めになっているためである。しかし、人間は社会環境の影響も強く受ける。海外の実証研究では、賦課方式の年金制度が出生率を低下させることが確認されている。子育てしなかった人(牛の世話をしなかった人)も、子育ての苦労と出費をした人(牛の世話に尽くした人)と同等の給付(分配金)を老後に受けられるのだから、子を産まない人が増大するのは必然的帰結だろう(※2)。賦課方式には共産主義と同じ根本的欠陥が内在しているのである。
とはいえ、社会保障制度を「共産主義的なので廃止」と事業仕分けすることは非現実的であり、何らかの補正を施して存続させるしかない。牛協同組合では、牛を育てた貢献度を分配金に反映させたり、フリーライダーにはペナルティを科していれば失敗は避けられただろう。ならば、次世代を育てる人にはその貢献に報いるとともに、育てない人には将来の給付の対価を要求すればよい。子のいない人からは金銭を徴収し、子育てする人には報奨を与えることが、賦課方式の共産主義的欠陥の補正策なのである。
これは「次代の社会を担う子どもの健やかな育ちを社会全体で支援する」ことが趣旨の子ども手当とは似て非なるものである。子ども手当に対しては「子供は親が育てるもの」「無意味なばら撒き」などの批判が止まらず、政府与党もふらついている(※3)。だが、手当の目的を「社会保障制度のフリーライダー対策」とすれば、その意義と正当性は誰の目にも明らかになり、批判は根拠を失ってしまう(※4)。所信表明演説で「強い社会保障」を掲げた菅総理大臣には、社会保障制度を共産主義の二の舞にしないために、子育てを正当に評価する制度の創設を期待したい。
(※1)「働いている間に積み立てた金を老後に受け取っている」と誤解している人もいるようだが、拠出した保険料は積み立てられずにその時点の高齢者に給付されている。
(※2)生涯に1人も子供を産まない女性の割合は1955年生まれでは13%だったが、1970年生まれでは30%、2000年生まれでは38%と推計されている(社会保障審議会 人口構造の変化に関する特別部会 第4回資料)。
(※3)この論理に従うと「老親の面倒は子が見るもの」になるので、高齢者向け社会保障給付(2007年度は63.6兆円)も無意味なばら撒きになってしまう。
(※4)景気刺激が目的ではないので、「需要を喚起しない愚策」という批判は的外れである。また、非定住外国人が支給対象から外れることは明らか。
(※2)生涯に1人も子供を産まない女性の割合は1955年生まれでは13%だったが、1970年生まれでは30%、2000年生まれでは38%と推計されている(社会保障審議会 人口構造の変化に関する特別部会 第4回資料)。
(※3)この論理に従うと「老親の面倒は子が見るもの」になるので、高齢者向け社会保障給付(2007年度は63.6兆円)も無意味なばら撒きになってしまう。
(※4)景気刺激が目的ではないので、「需要を喚起しない愚策」という批判は的外れである。また、非定住外国人が支給対象から外れることは明らか。
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