人的資本として将来必要な人材とは

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2023年11月13日

「人的資本」(human capital)という概念の根底には、人材が持つ能力や技能、資格など、生産力や経済活動に価値をもたらす資本(=無形資産)が企業の持続可能なビジネスを形成していく上で重要という考え方がある。効率性の観点から少ない人材で生産性を高めるという「人的資源」(human resources)の考え方からのパラダイムシフト(=根本的な変化)と捉えることができよう。つまり、人材を資本とみなし、企業の持続的な成長に欠かせないピースと考えられるようになってきたという根本の考え方の変化と見ることができる。

この人的資本に関して、2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業など約4,000社にその開示が義務化されている。これは金融商品取引法に基づく法定開示であり、本来ならば虚偽記載をすれば罰則の対象となる厳しい要件を伴う。しかし、現時点では、企業に義務付けられた将来情報に関する記載、つまり人材投資額や社員満足度などの内容が、実際には記載通りの結果にならなくても虚偽記載とはならない。このため開示姿勢の積極性が損なわれないように考慮されているといえよう。とはいえ、冒頭で述べた人的資本の考え方のパラダイムシフトは企業の中で組織的に着実に行っていく必要がある。企業は、実際に投資額の実行や満足度を達成しつつ、中長期的な経営戦略、将来に想定するビジネスモデルの在りようを踏まえて、どのような人的資本が企業の競争力を維持するために将来的に必要かを、かなりの確度で確定することが投資家から求められているといえよう。

他方、生成AIの台頭など、テクノロジーの急速な進化により人的資本の概念に影響を与えかねない要素が生まれている。このため、これまで以上の事業環境の大きな変化が今後想定される中で、企業側が、5年先、10年先でも必要な人的資本を適切に捉えられるかという疑問が残る。さらに、無形資産重視を前面に打ち出してきたGAFA(グーグル(現アルファベット)、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾンの米国の巨大IT企業4社)が主導するビジネスモデルのバブルがはじけ、むしろ無形資産よりオールドエコノミーの産業の有形資産の価値が再評価され始めている。このような状況では、この人的資本の考え方に多少の逆風が吹いてきているのではないか。このため、せっかく根付いてきた人的資本重視が、人的資源重視に戻っていくことが想定される。

日本企業は以前から終身雇用制であり、人的資本を重視しているとも捉えられる。しかし、その対極にあるともいえるジョブ(業務)型の雇用は、どのジョブが将来必要なのかを判断する上で重要となる。企業は、終身雇用制では人に紐づくジョブを、将来のビジネスモデルに必要なジョブを見極めて、必要な人的資本が捉えられるかということが焦点となろう。

これらを踏まえると、日本の企業の人的資本の開示の在り方はどのように形成していけばよいのであろうか。人的資本の開示に関して金融庁が公表している好事例(※1)を見ると、「人的資本可視化指針で示されている2つの類型である、独自性(自社固有の戦略や、ビジネスモデルに沿った取組み・指標・目標を開示しているか)と比較可能性(標準的指標で開示されているか)の観点を適宜使い分け、又は、併せた開示は有用」としている。この「独自性」を、明確な将来的な戦略として組織として共有していけるかが最も重要と考えられる。

人的資本を重視する経営とは、ただ単に、たとえばDX(デジタルトランスフォーメーション)志向で必要な人材の確保を意味するのではない。将来のビジネスにどのように人材を紐づけるのかが重要な視点である。このためには、持続可能なビジネスモデルを組織として志向していくことが必要となり、経営層だけが志向することではなく、すべての社員が共有して目指していく必要があろう。逆にそれがなければ、人材を資本とみなし、企業の持続的な成長に欠かせないピースと考えられるようにはならないのではないか。

(※1)「記述情報の開示の好事例集2022」2023年1月31日。「有価証券報告書におけるサステナビリティ情報に関する開示」の中の「2.『社会(人的資本、多様性等)』の開示例」。

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内野 逸勢
執筆者紹介

金融調査部

主席研究員 内野 逸勢