「ワーク・ライフ・バランス」の副作用

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2016年05月31日

  • コンサルティング企画部 主席コンサルタント 廣川 明子

法改正や社会的要請の後押しを受け、ワーク・ライフ・バランス(WLB)の支援は企業の常識になりつつある。昨今は育児期の女性に限らず、男性や広い世代のWLBの実現を目指すステージにある。ほんの数年前まで、雇用と安定した収入が得られる「正社員」であるためには、ライフを犠牲に「長時間労働」と「無制限の転勤」を受け入れざるを得なかったが、多様な働き方を選択できる変化は大歓迎である。

しかし、一方でワークに軸足を置く働き方・働かせ方を許容しない空気に危機感を覚える。例えば、育児中の女性を転勤させたり、時短勤務社員に(顧客が集中する)土日や夕方の出勤を求めたりする事例が報じられると、「子供がかわいそう」「働く女性に優しくない企業だ」というネガティブな反応が目立つ。「母親は子供のそばにいるべき」という価値観とワーク偏重に対する反発がないまぜになった批判に思える。

企業におけるWLB施策は、以下に大別される。
1)「ライフ」を重視するための支援
2)「ワーク」に集中してもらうための「ライフ」の支援

昨今は、前者ばかりが強調、称賛され、後者はネガティブな反応を恐れてか表に出てこない。筆者は、ライフ重視に偏るWLB施策は、企業と個人双方に副作用があると感じる。企業におけるライフ重視の施策「労働時間の抑制」と「地域限定正社員」を例に述べたい。

1.労働時間の抑制
心身をむしばむレベルの長時間労働については是正すべきであり論をまたない。ところが、「キャリア形成につながらない単純作業」と「キャリア形成につながる経験獲得」、「短期間の長時間労働」と「終わりのない常態化した長時間労働」が一律に論じられ、「長時間=悪」というレッテルが貼られる風潮があるように感じる。

キャリア形成につながる経験は、たとえ長時間であっても一時的なものであれば必要なこともあるのではないか。行き過ぎた時間規制はスキル形成の機会を奪いかねない。キャリアの初期にがむしゃらに量をこなすことが、スキルや質・効率性を高めることも多い。ライフ偏重でスキルがままならないまま20歳代を過ごすと、30歳代のライフにウェートをおかざるを得ない局面で、限られた時間で高い成果を出したり、やりがいと高い報酬を得たりする仕事に携わることは困難だろう。この風潮で業務を行う世代全体がマミートラックに乗ってしまう可能性がないだろうか。

社内WLBセミナーの冒頭、女性担当役員から「ベビーシッターとハウスキーパーを雇えばいいのよ!」と発言があり、一瞬でセミナーが終わった、というエピソードを耳にした。ハードワークで高収入であることが有名な外資系企業の極端な例であるが、日系企業においても、育児をしながらワークに集中できる支援策が広まってもいいのではないだろうか。

2.地域限定正社員
地域限定正社員は、正社員ながら勤務地を限定し、転居を伴う異動がない雇用形態である。金融業、製薬会社、小売業などに広く普及している。多い職種として①地域に根差した経験や知識、人脈が重要な「営業」、②出店計画を支えるため要員確保が必須の「店長・店舗スタッフ」があげられる。転勤は女性が仕事を続ける最大の障害とされてきたが、この制度も手放しで喜べない面はある。理由は3点ある。

第一に、地域に限定して雇用契約を締結するということは、当該地域から撤退する場合に雇用維持はされにくくなる。正社員といえども雇用の安定度は低くなる。

次いで、同一労働同一賃金の流れである。「ニッポン一億総活躍プラン(案)」では、「躊躇なく法改正の準備を進める」とされ、政府の強い意気込みが感じられる。具体的に正社員と非正規社員の格差を、現在の4割から欧米並みの2割にまで縮めるという踏み込んだ目標も示されている。企業に総額人件費を引き上げる余力がなければ、非正規社員の給与水準を上げることはできず、正社員の水準を下げていかざるを得ないだろう。その際、地域限定正社員と非正規社員との労働内容の違いが説明しにくいと判断されれば、地域限定正社員が報酬水準引き下げのターゲットになると考えられる。

最後に、地域を限定すると幹部候補を育てにくくなる。転勤がキャリア形成に万能とは言い切れない。意義を感じにくい転勤が多いのも事実だろう。しかし、本社機能が集中する大都市圏は別だが、店舗や営業所しかない地域で経験できる職務は限定的だ。また、幹部に必要な修羅場経験がいつでもどこでもあるわけではなく、地域を限定すると機会を得にくくなる。

さらに、多くの会社で地域限定社員から幹部候補となる道筋も整備されている。しかし、同じエリアで、同じメンバーと同じ職務に長年携わってきた社員が、突然複数の事業、多様な人材を率いるハードルは高い。営業一筋で実績を積み上げ取締役にまで昇進したものの、経営としての役割を果たすことが難しく、解任された例も聞く。

コーポレート・ガバナンス・コードにおいては、取締役の多様性が求められている。もちろん、女性を増やすことだけが多様性ではないが、「ライフ」を重視する支援をひたすら推し進めたときに、取締役候補となりうる女性はどれだけ現れるのだろう。

地域を問わず幹部候補となりうる人材を早期から発掘して重点的に育成をしたり、ライフステージが変わる前の20歳代に転勤等で幅広い経験をさせておいたりする方法もあるだろう。また、本人が望めば、育児や介護をしながらでも転勤をさせつつ、手厚く支援するしくみが普及していいのではないだろうか。

まとめ
一昔前まで、男性並みのハードワークか専業主婦か、の選択肢しかなかったことを考えると「ライフ」重視の風潮は隔世の感がある。かつての「ワーク」偏重の副作用やリスクは大きかったが、「ライフ」偏重にも副作用やリスクは存在する。

職業人生の全時期において育児や介護に携わるわけではない。また、すべての人が「ライフ」重視の働き方を望んでいるわけではない。重要なのは、個人の価値観の多様性を認め、労働時間や勤務地など働き方の選択肢を増やし、柔軟に支援をすることだ。企業も個人も、それぞれの副作用とリスクを理解したうえで、どのように「ワーク」と「ライフ」をバランスさせるか検討し、選択することが求められるだろう。

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廣川 明子
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コンサルティング企画部

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