食欲の秋を思い、食育を考える

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2015年09月14日

9月に入り、秋がぐっと近づいてきた。秋といえば、スポーツ、芸術、読書、と、色々な秋があるが、やはり多くの人の共通認識は「食欲の秋」だろう。秋は、なす、かぼちゃ、さつまいも、ぶどう、なし、柿、さんま、鮭、しめじ、栗、など、たくさんの食材が旬を迎える。旬とは、1年のうちに最も多く採れて、最もおいしく栄養価の高い時期をいう。これから秋が深まるにつれ、スーパーやレストランなどのお店では、旬の秋の味覚に出会う機会も増えてくるだろう。

もう一つ、秋の味覚を代表するのが新米である。筆者は米どころ秋田に生まれ、小さな頃から白いご飯をたくさん食べて育ってきた。毎年秋には農家の親戚から新米が届き、その炊き上がりは本当に白くツヤツヤとして、格別のおいしさだった。また、食べるだけではなく、自分で収穫したり栽培を手伝う経験もした。祖父母の家には栗の木があり、木を揺らして落としたイガを足で踏みつけ、中から取り出した栗を茹でてもらいお腹いっぱい食べていた。実家の柿の木は渋柿で、採った柿はそのままでは食べられないので、焼酎につけてしばらく置き、甘さたっぷりのおいしい柿に変身させて、いただいた。面白かったのは、しいたけの原木栽培のお手伝いだ。ドリルで原木に穴を開け、しいたけの菌が入った駒を入れる、これをきっかけに好きではなかったしいたけが食べられるようになった。

「おいしいと感じる味覚は、人間の体が必要な栄養素を識別するようにつくられているためで、(中略)人間の体がそれらを必要としているからだとされている(※1)」そうだ。こうした体験を通して、子供の頃にたくさんの旬な食材をおいしくいただいたおかげで、今まで健康に過ごしてこられたのだと思うと、両親や祖父母、親戚の叔父叔母には感謝したい。そして、改めて「食べること」は「生きること」を実感し、これが筆者の学んだ食育であったのだと思う。

さて、都会で暮らす自分の子供たちにはどんな食育を学ばせてあげられるのだろうか。自分と同じ体験をさせてあげることは容易ではないが、秋に旬の食材を手に子供の頃の話をしてあげることはできそうだ。毎月19日は食育の日である。9月19日は土曜日、子供と一緒にスーパーに出かけ、買物をしながら話してみようかな、と、自分にできる食育を考えている。

(※1)原田信男(2014)『和食とはなにか 旨みの文化をさぐる』角川ソフィア文庫pp.21-22

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執筆者紹介

政策調査部

研究員 佐川 あぐり