デジタルは言葉だ

デジタル化には、それを使わざるを得ない「環境」が必要

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2026年02月09日

ペーパーレス、キャッシュレス。合言葉のように唱えられるデジタル化が、思うように進まないのはなぜか。それは、デジタル化が単なる「道具の置き換え」ではなく、私たちが日々使っている共通言語そのものを切り替える行為に近いからだ。

(どういう点でデジタルが言語なのか)

「デジタルネイティブ世代」という用語自体が、デジタルが単なる技術ではなく、言語と同様に文化や慣習まで含むことを示唆している。外国語には臨界期仮説があり、初期接触年齢が高いほど習得に不利になるとされる。とはいえ実務上は、外国語もデジタルも『ビジネスレベル』で十分すぎるほど通用する。それでも、ネイティブとノンネイティブの間には「できる/できない」では測れない、微妙だが越えがたい差が残ることは否めない。

外国語では、習得初期ほど脳内翻訳が避けがたい。例えば日常会話レベルでは、いったん日本語で考えてから英語に置き換える感覚が残りやすい。デジタルの場合、同じ日本語でも、思考を書き言葉に整え、書き言葉を手指操作に落とし込むという「変換」が挟まれる。思考・書き言葉・手指操作という3段階の変換コストは、実務で使うほど速度と疲労感の差として累積し、結果として生産性の差につながる。

デジタルが外国語と異なるのは、基本的に聴覚言語ではなく視覚言語であることだ。視覚言語の代表例として手話が思い浮かぶ。手話は手指や身体の動き、表情を用いる独自の文法を持ち、感情表現も含めた豊かな伝達が可能である。手話を基盤とした生活スタイルの体系、「ろう文化」もある。

デジタルには、文字によるやり取りを前提とした「チャット文化」がある。時候の挨拶を省き、要点から入るといった作法が象徴的だ。注意すべきは、手話と違って感情が伝わりにくく、誤解が生じやすいことだ。例えば、「明日は何で来るの?」という短文は、交通手段を問うのか、遠回しに来るなと言っているのか判別しにくい。日常会話以上の文脈理解や文章力が求められる。距離感の掴み方にも独特の難しさがあり、目測を誤ると、いわゆる「おじさん構文」と揶揄されることにもなる。

メンバー全員が使えなければ成立しない点にも、デジタルが本質的にコミュニケーション手段であることが表れている。緊急連絡網や回覧板を想像してほしい。電話からSNSへ移行しようにも、全員が同じSNSを使わなければ切り替えられない。電話番号の共有は個人情報の観点から容易ではなく、多くの集団で対応に苦慮している。町内会の回覧板も、デジタルを使えない家がある限り紙と併用になり、媒体の二重化で効率はむしろ悪化する。しかし、それを理由にしていては、ペーパーレスはいつまで経っても進まない。

(デジタル化に必要な環境とは)

共通言語の切り替えである以上、デジタル化を進める方法は明らかだ。使わざるを得ない言語環境にわが身を置き、脳内翻訳を減らしつつ、デジタル特有の言語文化に適応することである。

「一本指打法」はもはや死語だろうが、思考と入力の間に“探して押す”一拍が入ると思考のリズムが乱れる。なにはともあれ、思考と入力を直接つなぐタッチタイピングの習得が第一歩だ。 ハード面では、参照と作業を並行する場面が多く、実務上は複数のディスプレイ環境を考えたほうがよい。微妙な遅延がつきもののオンライン会議では返事のタイミングが難しく、意図せず大声になる。ストレスの少ない通信には光回線や十分なメインメモリが必要だ。 

共通言語である以上、老いも若きも等しく全員で使うことが前提となる。令和の時代には信じがたいが、タイピングは昭和初期から「職業婦人」の仕事とされ、文書を清書するための周辺的な技能と位置付けられてきた 。他方で、PCは一部の愛好者の世界のもの、いわば「オタクの玩具」と見なされ、別な意味で特殊技能と思われてきた節がある。「失われた30年」をふりかえるに、こうした認識がデジタル化を遅らせたのは否めまい。DX時代のデジタル技術は清書の道具でも単なる効率化の手段でもない。あえて言うなら「思考の道具」である。

最後に、デジタルを共通言語として全員が使う社会にはセキュリティという課題がある。個々の防御意識も重要だが、インターネットは、道路や上下水道と同レベルの公共インフラとして再定義されるべき段階に来ているのではないか。利便性の裏側で、迷惑通信や詐欺への制度的対応は避けて通れない。水道への毒物混入が社会基盤を破壊する重大犯罪であるように、通信基盤に対する攻撃や悪用もまた、単なる迷惑行為ではない。社会インフラへの侵害として捉えるべきだ。通信の自由との緊張関係を十分に考慮した上で、公的に保証される安全な通信サービスや、チャット・メールアドレスの付与といった方策も一考に値する。

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鈴木 文彦
執筆者紹介

政策調査部

主任研究員 鈴木 文彦