なぜ今、SaaSの前提が揺らぐのか

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2026年02月19日

  • デジタルソリューション研究開発部 シニアITリサーチャー 木下 和彦

今年のスーパーボウルでは、いくつものAI企業がCMを打ちました。中でも印象的だったのは、AnthropicのスーパーボウルへのCM初出稿です。CMそのものの反響はさておき、「あの舞台に、ついにこの会社が出てきた」という事実が、今のAI業界の空気を象徴しているように感じました。
そしてちょうどその頃、同社は新モデルの投入や、業務タスクを実行する仕組み、用途別のワークフローを拡張する仕掛けなどで話題になっていました。テキストで指示するだけで、非エンジニアでも業務ソフトウェアに近いものを開発でき、さらにそれを使いこなすエージェントまで用意できる──そんな世界が、急に現実味を帯びてきたように感じられます。

こうした動きが、「SaaS is Dead」というフレーズを再び表舞台に押し上げました。大手クラウド企業のCEOが、業務アプリケーションを“CRUD(※1)+ビジネスロジック”と捉え、エージェントがそのロジックを担う時代を示唆した文脈で語られてきた言葉です。
とはいえ、重厚な業務システムをそのまま置き換えられるかといえば、そこには今なお距離があります。複雑な業務ロジック、処理履歴の管理、セキュリティ、運用保守やサポートまで含めた「重めのSaaS」は、依然として高い設計・運営能力を必要とするからです。

一方で、社員数が少ないスタートアップや小規模組織であればどうでしょうか。既存の汎用SaaSに毎月の利用料を支払うよりも、AIで内製したミニマルなツールや、AIで低コストに開発された新興サービスへ乗り換えることは、これまで以上に身近な選択肢となります。現場が「必要なものを、必要な範囲で」用意できるようになるほど、従来のSaaSの前提は揺らぎます。

ここまで読むと、「これはSaaSの話というより、ソフトウェア全体の話ではないか」と感じるかもしれません。その感覚は正しくて、AIエージェントの進化がもたらしているのは、SaaSにとどまらない開発プロセス全体の変化です。要件定義から実装、テスト、改善のサイクルが短縮されるとすれば、影響を受けるのは業務SaaSだけでなく、あらゆる業種・用途のソフトウェアになります。

ポイントは、内製が増えれば差別化が難しくなり、プロダクトの「核」(例:独自データや業務ルール)をどこまで残すかの設計力が勝負を分ける、ということです。また、開発スピードとコストが劇的に改善すると、「とりあえず作る」ことの価値は相対的に下がるかもしれませんが、SaaSも含めたソフトウェア全体が、「どう組み合わせてエコシステムを構成するか」というレイヤーで競争する比重が高まっていくでしょう。

もう一つ重要なのは、エージェントとSaaS(あるいは他のソフトウェア)の関係の変化です。複雑な業務は単一のエージェントやプラットフォームで完結することはほとんどありません。複数のエージェント=複数の“デジタルワーカー”が連携し、その裏側には複数のサービスが存在する構図が一般的になるはずです。

すべてのエージェントを一つのAIプラットフォームが束ねるのか、それぞれのサービスが自前のエージェントを提供するのか、おそらく当面はハイブリッドな形態が続くでしょう。だとすれば、SaaSだけでなく、ソフトウェアを提供するあらゆる企業が「AIは関係ない」とは言っていられません。どのような形でエージェントと関わるのか、自らのポジションを決める必要があります。

ビジネスモデルの観点からも、デジタルワーカーの増加は大きな意味を持ちます。エージェントが一人分以上の仕事をこなすなら、ユーザー数にひもづく従来型ライセンスは揺らぎます。そのとき事業者は、エージェントの価値をどう価格に結びつけるのか。SaaSに限らず、ソフトウェアビジネス全体が問い直される局面に入っています。

「SaaS is Dead」という強いフレーズは、SaaSの終焉を告げているというより、「AIエージェントを前提に、プロダクトとビジネスモデルを再設計できないソフトウェアは厳しくなる」というメッセージだと読めます。エージェント、他のソフトウェア、自社の顧客基盤をどうつなぎ、どんなエコシステムを構築していくのか。その全体像を描けるかどうかが、これからの生き残りを分けるカギになっていくのだと思います。

(※1)Create/Read/Update/Deleteの略。データに対する四つの基本操作。

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木下 和彦
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デジタルソリューション研究開発部

シニアITリサーチャー 木下 和彦