人的資本経営に繋げる健康経営の次なるステップ

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2025年10月17日

日本の社会課題として、少子高齢化、社会保障制度と財政規律への処方箋の実効性が問われる中、「健康経営®」(※1)はその一助になると期待されている。国民の健康寿命の延伸は、2013年に政府が策定した「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」において、主要テーマの一つに位置づけられ、予防・健康管理の推進や健康寿命延伸産業の育成が盛り込まれた。経済産業省によると、健康経営優良法人の認定数は2024年度に大規模法人部門で3,400法人、中小規模法人部門で19,796法人へと増加。次のステップとして、人的資本経営の構成要素でもある「健康経営」には、「からだの健康」に加えて「こころの健康」への取り組みが求められよう。

「からだの健康」については、「健康経営」の調査票に、健康診断の受診を基盤に個別の健康改善・疾病の進行防止を行う「ハイリスクアプローチ」、健康セミナーなどで健康意識の向上を図る「ポピュレーションアプローチ」が盛り込まれ、健康保険組合(保険者)と企業(事業主)が連携し、従業員の健康づくりを効率的に推進するコラボヘルスが進められてきた。厚生労働省が推進する「データヘルス」と、経済産業省が推進する「健康経営」を組み合わせた「車の両輪」ともいえる戦略だ。

一方、「こころの健康」については対応が遅れがちだった。2018年には、産業保健経営学の第一人者である産業医科大学の森晃爾教授が「メンタルヘルスの領域は、すでに健康経営の大きな根幹である」としていたが、近年になって、その取り組みの必要性が再認識されている。

厚生労働省は白書として初めて、2024年の『令和6年版 厚生労働白書』で「こころの健康」をテーマに取り上げた。「こころの健康」とは、「人生のストレスに対処しながら、自らの能力を発揮し、よく学び、よく働き、コミュニティにも貢献できるような、精神的に満たされた状態」である。同白書は、健康にとって最もリスクになることを問う調査で、第1位の「生活習慣病を引き起こす生活習慣」は2004年調査の55.9%から2024年調査の36.4%へと減少傾向の一方、第2位に浮上した「精神病を引き起こすようなストレス」は、同期間に5.0%から15.6%へ3倍に増えたと報告。職場では仕事の量や責任、対人関係がストレス要因となり、さらに、近年は、急速なデジタル化やつながりの希薄化による孤独・孤立などがその変化をもたらしている。

では、具体的に企業はどのような対応をしていけばよいのだろうか。「こころの健康」のネガティブ面において、休む程ではないが体調不良で仕事に影響が出ている「プレゼンティーズム」は、一般に従業員の健康状態に起因した損失の3分の2以上を占め、その中でも不眠症状や抑うつ症状などの従業員のメンタルヘルスと関連する損失が大きい(※2)。対応策としては、(1)健康課題の見える化(パルスサーベイ、ストレスチェック、健康状態と業績パフォーマンスの変化のモニタリングなど)、(2)メンタルヘルス対策(社内カウンセリング、従業員支援プログラムの導入、メンタルヘルス研修など)、(3)柔軟な働き方(テレワーク等の導入、体調に合わせた勤務時間の調整など)、(4)職場環境の改善(快適な作業空間、コミュニケーションの改善、ハラスメント対策など)、(5)生活習慣の改善支援(食事・運動・睡眠に関する啓発活動、健康アプリ等の活用など)などが考えられる。

一方、「こころの健康」のポジティブ面においては、働きがいを示す指標の一つであるワーク・エンゲイジメントと雇用管理の実施率の高さの間には正の相関関係が見られることが白書で示されている。ポジティブな心の健康状態を表すワーク・エンゲイジメントの向上には、仕事の自律性やキャリア開発の機会、直属上司のコーチング等の施策が効果を発揮する。人材開発と連動したアプローチをとることで、ワーク・エンゲイジメントの向上が労働生産性の改善に繋がり、企業価値の向上をもたらすと期待できる。

グローバルの投資家も「こころの健康」への関心を高めつつある。「職場のメンタルヘルスに関するグローバル投資家声明」への署名投資家数は、2022年創設当初の29から2025年1月には56に増え、運用資産額は10兆ドルを超えた(2025年1月28日時点)(※3)。世界保健機関(WHO)の推計によると、メンタルヘルスの不調による世界的な損失は年間1兆ドルに上る。Deloitteの調査では、英国だけでも企業の損失は年間510億ポンドに達し、1ポンドの投資に対して4.70ポンドのリターンがあると報告しており、取り組みの必要性は明らかだ(※4)。

世界でも最も早く少子高齢化が進む日本の取り組みに対する注目度は高い。国や企業の取り組みもさることながら、人生百年時代において、個々人が各自の体や心、生活習慣(食事・睡眠・運動)を可視化し、意識的に予防に取り組むことで、一人一人の健康寿命の延伸に繋げていくことが肝要だろう。健康は失って初めてその大切さがわかるものになってはいけない。国・企業・個人が三位一体となって取り組むことで、一人一人の持続可能性(サステナビリティ)を高め、それが企業の価値向上や持続可能性に繋がることで、日本社会全体の持続可能性が高まっていくことが期待されよう。

(※1)「健康経営®」は、特定非営利活動法人健康経営研究会の登録商標です。
(※2)Burton WN, Chen CY, Chonti DJ, Schultz AB, Pransky G, Edington DW. “The association of health risks with on-the-job productivity” JOEM 2005 47(8)769-777
(※3)Amy Browne “Comment: Why investors are worried about workplace mental health” Reuters, 2025年1月28日
(※4)Deloitte “Poor mental health costs UK employers £51 billion a year for employees” 2024年5月17日

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山田 雪乃
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