英国民の生活危機は去ったのか?

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2024年04月26日

  • ロンドンリサーチセンター シニアエコノミスト(LDN駐在) 橋本 政彦

英国経済にとって大きな重荷となってきた急激なインフレはここ1年半で急速に和らいできた。2022年10月のピークには前年比+11.1%と1981年以来の高い伸びを記録した消費者物価指数は、2024年3月時点では同+3.2%となり、ピーク時の3分の1未満まで伸びが鈍化している。

もっとも、物価高騰による生活危機に対する英国民の懸念は依然として根強い。例えば、イプソスが実施する世論調査では(※1)、2024年3月時点で、英国が直面する課題として「インフレ/物価」と回答する人の割合は28%となっており、「経済」(36%)、「NHS/病院/ヘルスケア」(35%)に次いで3番目に高い。直近のピークであった2022年8月の54%からは大幅に低下してはいるものの、それでも2022年以降のインフレ率が急騰した時期を除けば1990年以来の水準と、歴史的な高さにあることに変わりはない。また、一時期に比べれば頻度は減っているが、今なお交通機関などで断続的に待遇改善を求めるストライキが実施されていることも、生活危機が続いていることの証左と捉えられる。

前述したように、インフレ率は確かに大幅に低下したが、これはあくまで上昇ペースが和らいでいるだけにすぎず、物価水準に目を向ければ、多くの品目で高値を更新し続けている。商品市況に左右され価格変動が大きいガソリンや光熱費などのエネルギー関連は、最も高かった2022年半ば~後半と比べれば価格が低下しているが、それでも急上昇する前の2022年初と比べれば大きく値上がりしたままである。インフレ率が低下したからといって、人々の生活水準、暮らし向きが劇的に改善したわけではない。

英国FCA(金融行動監視機構)が2024年4月に公表した報告書(調査時期は2023年12月~2024年1月)によれば(※2)、英国民の8割弱の人々は生活費高騰に対してなんらかの対応を取っていると回答しており、日々の消費の節約・先送り、省エネによる節約を行っていると回答した人は全体の半数を上回る。しかし、それでも3割弱の人が生活費の高騰に財政的に対処できていないという。

さらに興味深い内容として、同報告書では物価高騰が人々のメンタルヘルスにも悪影響を及ぼしていることにも触れられている。物価高騰に対しストレス・不安を感じている人は全体の4割超おり、さらに「お金の心配で眠れない」「メンタルヘルスに悪影響が出ている」と回答した人は、それぞれおよそ2割に上る。英国では長期疾病を理由とした労働市場からの退出者が増加しているが、物価高騰による生活苦を背景としたメンタルヘルスの悪化が、人々の労働参加に影響している可能性が示唆される。

こうした報告書の内容を踏まえると、これまでの物価高騰による英国経済への悪影響は想定以上に長引くかもしれない。インフレ率は今後も低下し、統計上は実質賃金の増加傾向は続くと見込まれるが、人々の気持ちが前向きにならない中では、個人消費の本格的な回復は期待し難い。

(※1)Ipsos, “Public consider the economy and NHS as top two issues facing the country” 4 April 2024
(※2)Financial Conduct Authority “Financial Lives cost of living (Jan 2024) recontact survey” 10 April 2024

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橋本 政彦
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ロンドンリサーチセンター

シニアエコノミスト(LDN駐在) 橋本 政彦