デフレ脱却の帰趨を決める賃上げ交渉の行方と課題

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2022年11月02日

現在、日本の物価上昇率は、その水準だけ見ると、すでに政府の掲げるデフレ脱却や日銀が目指す「2%のインフレ目標」を達成している。CPI総合とコアCPI(生鮮食品を除く総合)の前年比が、2022年4月から6ヵ月連続で2%を超えており、今後もしばらく2%超で推移する見込みであるためだ。ただし、今回の物価上昇は、国際商品価格の高騰と円安進行の影響によるコスト・プッシュ型であり、実態として、政府や日銀が描く安定的な物価上昇の姿とは大きくかけ離れている。

とりわけ問題なのは、物価上昇率が賃金上昇率を上回り、実質賃金が低下しているという点だ。実質賃金が持続的に上昇するような経済環境でなければ、直近の物価押し上げ要因が剥落していくにつれ、物価上昇率は2%を下回る水準まで徐々に低下していくというのが一般的な見方となる。この背景には、実質賃金の低下に伴う個人消費の低迷を通じて日本経済全体の需給バランスが緩み、物価低下圧力が生じるという波及経路が存在する。

実質賃金の上昇を伴った安定的な物価上昇を実現するための重要イベントとして、足元で注目度が高まっているのが2023年の賃上げ交渉だ。連合(日本労働組合総連合会)は、2022年10月に公表した「2023春季生活闘争 基本構想」の中で、春闘での賃上げ要求を5%程度(ベースアップ分を3%程度、定期昇給分を2%程度)とする方針を明示した。賃上げ交渉の結果、実際に物価上昇をカバーする賃上げが行われ、賃金上昇と物価上昇の好循環をうまく起動させることができれば、日本経済は、真の意味でデフレから脱却することが期待される。

ただ現実的には、コスト・プッシュ型のインフレにより業績が圧迫されている企業や依然として新型コロナの影響が残る企業も多く、さらに世界経済の先行き不透明感が強まっていることを踏まえると、十分な賃上げを実施できる企業は限られよう。具体的には、資源高や円安の恩恵を受けている企業や賃上げ分を価格転嫁できる企業、元々収益が拡大基調にある企業だ。そうでない企業が無理に賃上げを行うと、企業収益が悪化し、雇用にも悪影響が出かねない。

こうした状況の中、賃上げ交渉とともに重要となるのは、賃上げの原資を生み出すための労働生産性向上を実現できるかという点であろう。これは決して目新しい視点ではなく、「(労働生産性向上を)言うは易く行うは難し」のような状況が長らく続いてきた。ボトルネックになっているのは、労働生産性向上のために、雇用の流動化やリスキリング・リカレント教育を通じた人的資本の強化、追加的な設備投資などが必要となり、その結果、労働者と企業に少なくない負担を強いる可能性があるという懸念だ。

しかし、足元では、急速な円安進行をきっかけに、日本の賃金が国際的にかなり低迷していることが各種報道で取り上げられる中、国民の間でも賃上げに対する関心が高まっており、こうした状況は、労働生産性向上に向けた取り組みについて、政労使が今一度真剣に議論する好機といえる。

「労働生産性の向上なくして、持続的な賃金の上昇なし」。最後に、このフレーズを頭に入れつつ、来年の賃上げ交渉の行方とデフレ脱却の帰趨について引き続き注視していきたいと思う。

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長内 智
執筆者紹介

金融調査部

主任研究員 長内 智