少子化はどうすれば止まるか

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2022年06月16日

  • 調査本部 常務執行役員 リサーチ担当 鈴木 準

厚生労働省「人口動態統計」によると2021年の出生数は概数で81.2万人となり、データがある明治32年(1899年)以降で最少になった。死亡数は144.0万人だったから、差し引きの自然増減数は▲62.8万人である。数十万規模の都市が毎年消滅することに相当する人口減少が起きており、当面はそれがほぼ確実に続く。

子供が生まれない国では投資が起きず、資本が流出する。人口が減少すれば国力が衰退し、社会は沈滞していく。単に減るのではなく高齢化が進むため、医療や介護の費用が際限なく増大し、現役世代はその負担に音を上げる。人々は進取の気性を失い、新規ビジネスに挑むこともない。若者と高齢者は激しく対立し、皆の憤懣は高まり、陰鬱な空気に覆われる。世界は日本を蔑み、無視するようになる。—こんな未来を想像すれば、出生数の減少は国家存亡の危機と言いたくなる。

しかし100年前、思想家である北一輝は1923年刊行の『日本改造法案大綱』の緒言で、「我ガ日本亦五十年間ニ二倍セシ人口増加率ニヨリテ百年後少クモ二億四五千萬人ヲ養フベキ大領土ヲ餘儀ナクセラル」と述べている。大人口を養うために満州国を作るなど、日本が大陸や南方に進出したその後の歴史は、人口増加が平和主義と相容れないという原理を示している。

そして、100年先のことなど、分かるはずもないということだ。国立社会保障・人口問題研究所による2015年の国勢調査がベースの将来推計人口(2017年推計)によれば、2115年の総人口は楽観的な出生高位・死亡低位の仮定で6,683万人、悲観的な出生低位・死亡高位の仮定で3,787万人である。3,000万人近くの差があることもさることながら、そもそもこれらはprojectionであってpredictionではない。

将来推計人口は人口学に基づいた精緻な科学的成果だが、基本的には最近の人々の行動実績を将来に投影しているにすぎない。今後の社会変化を織り込んだ予測や予言ではないのだから、過去の人口推計が未来を言い当ててきたわけではないのは当然である。換言すれば、労働規制や企業経営の改革で働き方の柔軟性を高めたり、結婚や出産・育児の希望が十分に叶う雇用・所得環境を実現したりすることによって、私たちは未来を変えられる。

ただし、出生数を増やすことそれ自体を直接の目的にして、国や自治体、企業が経済的支援を行っても永続的な効果は期待できないだろう。むしろ、人口減少が1人当たりの資本量を増やし、希少になる労働者一人ひとりを大切に扱う社会を導くことを阻害してはならない。超高齢社会を維持するコストを減らす医療や介護の制度改革を怠りさえしなければ、生産性を引き上げて持続性のある経済成長を手にするチャンスが到来しているのだ。

1956年度版の厚生白書が「わが国における過剰人口の重圧が、国民生活の急速な回復あるいは向上を妨げている」と分析したように、人口増加が生活水準を引き下げるという健全な問題意識を戦後になっても日本は持っていた。ところが実質賃金の引き上げに失敗し始めた1990年代中頃から「少子化」という新語が人口に膾炙し、うまくいかない原因を人口減少にやたらと求めるようになってしまった。「貧すれば鈍す」とはよくいったものである。

人口減少は豊かさを低下させるのではなく、より高める方向に働く。大災害やパンデミック、金融危機や戦争といった想定外のことに対応するのは家計も企業も難しいが、先行き10~20年程度であれば見通せている人口問題に対処できないはずはない。人口減少を前提に考えた方が、多少の時間はかかっても結果的に子供が生まれる世の中になるだろう。

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鈴木 準
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