ウクライナ情勢への思い~キエフ滞在経験を踏まえて

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2022年03月01日

ウクライナ情勢が緊迫している。ウクライナ国境でロシア軍による侵攻の準備が進められているとして、米国のバイデン大統領は、2022年2月に米軍を東欧に派遣した。本コラム執筆現在(2022年2月22日)、ウクライナを巡ってロシアと米国のにらみ合いが続いている。

「革命」と呼ばれるものから街頭デモまでを含めると、ここ20年、旧ソ連圏で反体制機運が高まっている。2003年のグルジア(現ジョージア)におけるバラ革命、2004年のウクライナにおけるオレンジ革命、2005年、10年、20年のキルギス共和国における反政府運動とそれに伴う政権崩壊、2020-21年のベラルーシ、そして2022年のカザフスタンにおける反政府デモがその実例である。旧ソ連地域は、ソ連崩壊をきっかけに心構えがないまま独立に至り、独立後も旧ソ連時代の権威主義体制を継承した国が多い。独立後十数年経った頃から、その歪みが次々と顕在化し始めたことが反政府運動につながった。さらに、この歪みを複雑化したのは、強国を目指すロシアと、民主化を後押ししたい米国という2大勢力の存在である。2022年2月に深刻化したウクライナ情勢を巡っては、その対立が最も鮮明化し、一触即発の事態にまで発展している。

今、世界で注目されているウクライナは、日本人にとって馴染みの薄い国かもしれない。2007年、筆者はロシア語学習のため、ウクライナの首都キエフで3週間のホームステイをした。ここでは少し、その時の体験と印象を紹介させていただきたい。

ウクライナはウクライナ語を第一言語とし親欧米派が多いとされる西部と、ロシア語を第一言語とし親露派が多い東部に分かれているといわれるが、両言語は似ており、人口の大半がロシア語とウクライナ語を話すことができる。その一方で、英語はほとんど通じない。人々はとても親しみやすく、「お客さん好き」な国民性であると感じた。街並みは、アパートなどソ連時代からの建物が多く残る一方で、世界遺産にも登録された大聖堂や修道院といったウクライナ文化を象徴する建造物も多い。ソ連時代の影響とウクライナ文化が共存した、欧米ともアジアとも異なる国といった印象を抱いた。

ソ連時代の影響といえば、ウクライナで出会った人から聞いた忘れられない話がある。それは、ソ連崩壊直後の生活の苦しさである。ソ連崩壊後の数年間、ハイパーインフレで人々の生活は困窮を極めた。1994年の消費者物価上昇率は、800%を超えるほどの高さであった。物資不足で何を買うにも長蛇の列に並ばなくてはならず、給与の遅延が横行した。学校の教師は、給与が砂糖ということもあったという。その日を暮らすのに精一杯な時代であった。

それから30年経った今も政治的・地政学的リスクはくすぶり続け、人々は生活の安定性を失っている。米国やロシアの目線で語られることが多いウクライナ情勢だが、その動向による影響を全面に受けるのはウクライナ一般市民であることを忘れてはならない、というのがウクライナの人と文化に接した筆者の思いである。

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増川 智咲
執筆者紹介

経済調査部

シニアエコノミスト 増川 智咲