大統領の交代でフィリピンは変わる?

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2016年04月28日

  • 児玉 卓

IMFによれば、1980年のフィリピンの一人当たりGDPは753米ドル、タイ(719ドル)やインドネシア(673ドル)を上回り、中国(307ドル)の倍を超える水準であった。だが、そこからこの国の転落が始まる。周辺諸国が「東アジアの奇跡」に沸く中、フィリピンの実質成長率は80年代には年平均1.7%、90年代は2.9%にとどまった。「奇跡」どころか「停滞」の20年である。

90年代後半にはアジア通貨危機が起こり、タイ、インドネシア、マレーシア経済などが激震に見舞われる。インドネシアに至っては1998年の成長率が▲13.1%まで落ち込む有様であった。それでも90年代を通してみれば、タイは年平均4.5%、インドネシアは同4.2%の成長を確保した。アジア通貨危機自体のフィリピンへの波及は極めて軽微だったのだが(1998年の成長率は▲0.6%)、同国経済の相対的な没落に歯止めがかかることはなかった。成長率のボラティリティこそ低かったが、それは「奇跡」がなかったから、その反動もなかったということに過ぎない。

これに先立つ1986年には、いわゆる「エドゥサ革命」が起き、マルコス独裁政権に終止符が打たれた。80年代の低成長は、マルコス政権末期の混乱によるところが大きいが、90年代に相対的低成長が続いたことは、「革命」と民主化が、さしあたり経済的成果にはつながらなかったことを意味している。また、80年時点のフィリピンの相対的な所得水準の高さが、マルコス独裁下で実現したことも再確認されてよい。マルコス政権が総体としてどう評価されるかはともかく、フィリピンの停滞の20年は、その少なくとも一部が、周辺国に先駆けた民主化、その帰結である開発独裁的経済運営の放棄の結果であった可能性もあるということだ。また、マルコス氏は汚職の権化であったかもしれないが、エドゥサ革命後の「民主政治」もまた汚職にまみれていたことは、5月9日に予定される大統領選挙の候補者がいずれも、汚職対策を重点施策に掲げていることからも明らかであろう。

もちろん、だれが次の大統領になるにせよ、開発独裁の復活はあり得ない。しかし、開発独裁放棄の結果、フィリピンが何を失い、相対的な成長パフォーマンスの劣位に長く甘んじてきたかの自省は必要であろう。例えば製造業である。産業面で「東アジアの奇跡」の主役となったのは製造業であった。長期にわたる中国の高度成長を牽引したのも製造業である。フィリピンの失われた20年は、東アジアで構築されつつあった生産ネットワークに組み込まれ損ねたことに、恐らく一因がある。この数年、フィリピン経済がにわかに活気づいたかに言われるが、それも少なからず、同国が東アジアの成長の連鎖に組み込まれていなかったために、中国の成長鈍化の影響を受ける度合いが小さく済んでいる結果であろう。

一方、現在東アジアで起きつつある変化をやや長めの視点で捉えれば、中国の競争力低下に伴う生産ネットワークの再配置という側面がある。周辺国にとって、中国の減速は当然ながら痛い。短期的にはこのデメリットがクローズアップされやすくもなる。しかし、中国で競争力を失った産業集積を新たに受け入れる国・地域にとっては大きな飛躍のチャンスである。中国よりもはるかに人口構成が若く、人件費等の要素費用が低いフィリピンにとって、遅ればせながらの工業化に向けた滅多にない機会が訪れているということだ。

次期大統領は、人々が海外を目指す国ではなく、都市やその周辺の産業集積を目指す国にしなければならない。実際のところ、今回の選挙戦を巡る論点が、だれが現職アキノ政権の路線を引き継げるかに相当程度絞られていることもあり、候補者4人の施政方針に目立った違いは見られない。だれもがインフラを重視し、汚職対策を継続するとしている。恐らく汚職がはびこる中では、インフラ整備も十分に進まないのだろう。とすれば工業化を推し進めるにせよ、それを出発点とする他はなくなる。

政策の方向性の大きな差がなく、それが遅ればせながらの「工業化」に即したものである以上、結局のところ問われるのは実行力である。早すぎた民主化が、経済厚生の改善に失敗してきた同国の経験を踏まえれば、ドゥテルテ・ダバオ市長の「剛腕」に期待してみたい気もするが、結果は如何に。

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