2014年07月28日
「第65回 東京消防庁統計書 平成24年」(平成25年刊行)によると、平成24年の急病を理由とした都内の搬送人員は41万8,851人である。そのうち半分以上(50.3%)が65歳以上高齢者の搬送であり、圧倒的に多い。この搬送人員における高齢者の割合は、年々上昇している。
背景には、超高齢化による人口構造上の問題があるのだろうが、政策的に推し進められている在宅ケアの影響も少なからず含まれているようだ。戦後、在宅ケアの末に自宅で看取られるケースは減り続け、病院で最期を迎えることが一般的となった。それが、再び家族の下に戻されつつある。住み慣れた場所や地域で、親しい家族や仲間に囲まれて安らかに・・・というのは、最も望ましい最期かもしれない。
しかし、実際の現場はかなり混乱している。在宅ケアを支える医師・看護師、介護士やヘルパーなどの人材不足、独居高齢者世帯の増加などに加え、看取りに直面する家族の覚悟が充分に定まっていないことも、在宅ケアを促進することのハードルとなっているようだ。
先日、子供に付き添い、深夜の救急救命室にいた。カーテンで仕切られただけの処置室では、隣の様子が嫌でも筒抜けである。どうやら隣のベッドには、在宅での看取りを選択したはずの男性の90代の母親が、誤嚥性肺炎による高熱を併発し、救急車で搬送されて来たようだ。その月2度目の救急搬送らしい。医師や看護師は、入院した場合、延命が可能だが治療は長期に及ぶと説明していた。一方、男性は、高熱で苦しそうな母親の姿をこれ以上見ていられない、と数日間の入院治療を懇願。そのようなやり取りが、子供の処置が終了するまで約2時間、延々と続いていた。
救急車を呼ぶということは、蘇生処置とそれに続く延命治療への意思表示になるため、在宅での看取りを決めたら救急車は呼ばないように、と指導されることが多い。搬送され、延命治療が開始された場合、家族が希望しても途中で中断することは困難であり、結果、在宅での看取りが不可能となるケースが多いためである。
医療費の抑制にも結び付きながら、慣れ親しんだ地域で、自分らしい暮らしを続けることができる地域包括ケアの普及を、政府は促進している。その一環には、住み慣れた場所で最期を迎える、という看取りの実施も含まれている。しかし、非日常的事象となってしまった自宅での看取りについて、一度覚悟を決めたはずであっても、いざその時を迎えると当惑し、救急搬送を依頼してしまう家族は少なくない。年々増加する高齢者の搬送人員数には、看取りに直面して戸惑う、家族の不安も多分に含まれていそうである。
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政策調査部
主任研究員 石橋 未来