家訓・名言にみるガバナンス

RSS

2014年05月27日

  • 間所 健司

わが国において、家を守るための法、教えというべきものが「家訓」である。戦国期以降の大名家における子孫や家臣に対する戒めや、江戸時代以降の商家-特に近代以降の旧財閥家-などにみられる当主(創業者など)の経営理念がこれにあたる。会社の場合では、社訓あるいは社是となっていることがある。

大名家であれば、その支配する国(家臣、農民)の治め方を、商家であれば商いを盛り立てていく方法が書かれていることが多い。それをガバナンスと言うには飛躍があるが、一国一城の主という言葉があるように、経営者としての心構えであるとすれば傾聴に値するものである。

戦国大名の先駆けとも言われている北条早雲の「早雲寺殿廿一箇条」は、いわゆるサラリーマン心得えのような内容で、平易な文章で原文のままでも十分に意味が分かるものである。その中に、「上下万民すべての人々に対して、言半句たりともうそをいうようなことがあってはならぬ。いかなる場合でも、ありのままに申しのべることが大切である。・・・」とある。ガバナンスというよりはリスクマネジメントに近いと思われるが、情報開示の在り方・重要性について考えさせられる。

越前守護であった朝倉氏の「朝倉孝景十七箇条」には、「年中に三箇度器用計り、正直ならん者に申し付け、国をめぐらせ、四民諸々の口謁を聞き、其の沙汰致されるべく候。少々形を引き替えて、自身巡検するも然るべき事。」とある。この意味は、人をやって下々の意見を聞き改革をし、また、自らも自分の目で見るべきである、ということで、企業経営においても「社外役員のような第三者の意見を入れ、経営者自らが現場を視察・確認する。」という行動にも通じる。

大河ドラマの主人公である黒田如水(官兵衛、孝高)は、子の長政に対して、「すべて国を治めていくには、普通の人と同じ心がけでは駄目である。まず、政道に私なく、その上、わが身の行儀作法を乱さず、万民の手本とならねばならない。」と説いた。黒田家では、「異見会」という会議を開き、国を治めるうえでの問題について臣下を集めて議論させていた。今で言う経営会議や取締役会にあたるようなものであろう。

近代においては、旧財閥家などが家訓を残している。日本資本主義の父とも言われる渋沢栄一による渋沢家の家憲(修身斉家の要旨)には、「・・・同族に関すると一身に関するとを問わず、事の重大なるものは必ず同族会議において決議の後これを行うべし。」とある。「修身斉家」とは自身と家を正しく修めることという意味で、独断専行を戒め、「重要事項は協議の上、決する。」ということになろう。

時代が異なるとはいえ、先人の言葉には体験に裏打ちされた貴重な教訓が含まれていることを忘れてはならない。

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。