金融業は低収益産業となるのか?

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2011年10月13日

  • リサーチ本部 常務執行役員 リサーチ本部副本部長 保志 泰
欧州の金融機関デクシアが公的支援を受けて解体手続きに入ることが決まった。欧州を中心に金融機関を取り巻く環境は厳しく、年初から全世界の金融機関は13万人を超える人員削減を発表している(ブルームバーグ集計、2011年10月11日現在)。ギリシャの財政危機が直接的な発端であるが、実はリーマン・ショックを境に(広義の)金融業を取り巻く環境が一変した可能性があり、その表れの一つとも受け止められる。それは多くの雇用を維持できない低収益化が金融業で進みつつある可能性である。

リーマン・ショック以前は、英国やアイスランドなど、いわゆる“金融立国”を標榜する国がいくつもあった。金融業は多くの雇用や付加価値をもたらす巨大サービス産業と考えられていたためである。その先頭を走っていた代表格が投資銀行であり、様々なビジネス・モデルを作り出して収益を獲得していた。しかし、リーマン・ショックを教訓に、そうしたビジネス・モデルの一部は否定され、そもそも、高収益を追求する原動力となる報酬体系にも問題あり、という議論がなされている。

金融危機を再発させないために、様々な金融規制の改革が進められている。高いレバレッジや高リスク取引を抑制し、自己資本を厚くするなどの対応策が求められるわけだが、どれも収益性を低下させる施策である。銀行業に限らず、広義の金融業において、同じ流れと言えるだろう。

もっとも、金融規制によって初めて収益性が低下するわけではなく、実はリーマン・ショック以前から底流で収益性の低下が進んでいた可能性がある。その収益性低下を補うために、投資銀行を筆頭に様々なビジネス・モデルを開発し、あるいは高リスクを取って収益を獲得してきたと捉えることができる。結局それが剥落して、金融業の低収益化が顕在化した、ということではないか。

金融業の低収益化には、マクロ的には先進国企業が外部資金を必要としなくなってきたことが背景にある。日本においては90年代後半から企業部門が資金余剰主体へと転じていたが、最近、欧米でも同様の傾向になってきた。もともと、金融業すなわち金融仲介機関は、資金余剰主体である家計などのカネを集めて資金を必要としている企業部門に貸し付ける(供給する)、ことが役割であり、その際の利ざや(ないし手数料)が収益、ということになる。しかし、資金を必要としているのは、今や企業ではなく政府である。金融業は集めたカネを国債に投入する割合が増え、大きな利ざやは取れなくなった。

かつてのような高収益の獲得が難しくなった金融業は、この先どこに向かうのか。もちろん、金融仲介は経済にとって必要不可欠な機能であり、なくなることはない。世界を見渡せば、新興国のインフラ新設投資や、先進国のインフラ更新投資など、多額のおカネを必要とする分野はたくさんある。国内を見ても、足元では復興のための資金をいかに調達するか、あるいは長期的に見れば活力を生む新興企業にいかに資金を流すか、など、金融業として積極的に関わるべき分野はたくさんあるはずである。確かに、金融規制が厳しくなる中でリスクを直接取りづらくなりつつある。しかし、その制約の中で、これまで蓄積してきた知恵を積極的に活用して、社会ニーズに沿ったビジネスを実現するのが金融業の役割だろう。さもなければ、さらなる収益性低下を甘んじて受け入れざるを得ない。

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保志 泰
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