流行語から中国社会を見る

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2010年09月16日

  • 金森 俊樹
日本語もそうだが、中国語も柔軟に新しい言葉を創り、それがネット上で飛び交う、そしてそれは、少なくとも社会で生じている何かの一断面を象徴する。不動産価格が高騰する中で、房奴(ファンヌ)(住宅の奴隷)、蝸居(ウオージュ)(カタツムリの家)など、最近日本にも伝わっている流行語が、いずれも住宅にからんでいるのは、その典型であろう。

经济适用男(経済適用男)、一言で日本語に訳し難いが、’経済的にほどほどに適当な男性’、英語では’budget husband’ということになろうか。中国語サイトによると、身長は普通、髪型は伝統的、容貌はこれといった特徴なく見てもすぐ忘れる、しかし、性格は温和で酒、タバコ、賭け事はせず、給料はすべて妻に手渡す、給与水準は月3000-10000元(約5万—15万円程度)で、家を買う頭金くらいは用意できる男性、ということになる。中国の若い女性は、少し前までは、大金持ちの男性と結婚し豪華な家を買うことを求めていたが(中国では一人っ子政策の影響で、男女の人口比率は女性1に対し、男性は1.1-1.2、女性が強気になれる)、次第に、ほどほどの男性、ほどほどの家を求める女性が増えてきているという。また、この言葉は、そのような「ほどほどの男性」が多くなっていることも示唆しているようである。これは、中国でも所得面、意識面で所謂「中産階級」が育ってきていることを示すように見える。実際、中国社会科学院の研究員の推計によると、中国では中産階級が年々1%ずつ増加しており、すでに全人口に占める比率は22-23%に達しているという。また、英の某調査機関もつい最近、2020年には中国の中産階級は7億人に達し、全人口のほぼ半分を占めることになるだろうという報告を出している。しかしこれらに対しては、中国人の研究者等から、所得格差がむしろ拡大している状況で、中産階級が育っているなど考えられないことだ、また意識面でも欧米で言うところの中産階級と同じような意識を有する層はまだまだ中国では少ない、などの反論も多い。そもそも中産階級の明確な定義がない中で、これはあまり議論しても意味はないが、むしろこうした言葉が出てきている背景として指摘すべき点は、第一に、確実に所得が上がり、絶対的な貧困から脱出してきている層が社会のかなりの部分を占め始めているということ(ビザ要件の緩和で、新たに日本に押し寄せている中国人はこうした層か)、しかし第二に、彼らは多少経済的に余裕が出てきたといっても、他方で格差が広がりマイホーム購入もままならない中で、社会に対する閉塞感のようなものはむしろ強まっているということを、あるいは表しているのではないか。以前から、一人っ子政策の下で甘やかされて育った所謂、80后(後)(バーリンホウ)世代は、良い意味でのハングリー精神に欠け、おとなしいと言われてきた。貧困からの脱却が進み、生活に多少のゆとりを持つ人々が増えていることは良いニュースだが、他方で閉塞感が高まり、「やる気」、エネルギーといったものが若い世代から消え、あきらめのような空気が蔓延し始めているとしたら、それこそ中国の今後の成長に一抹の不安を落とす要因だ。

被増長、中国語サイトによると、広州の地元紙、南方都市報は、国家統計局の発表として、2009年上半期、全国城鎮居住民の平均給与水準は11.2%と、初めてGDPの成長率を上回ったと報じた。そこでネット上では、いったい誰の給料が上がっているのか、少なくとも自分の給料は上がっていないとの声が飛び交い、結局、給料は上がっている人などいない、みんなの給料が「被増長」、すなわち、上がったことにされているという結論になったというわけである。マスコミの分析でも、実際、統計局も認めているように、城鎮就業人口は3億人だが、統計では、そのうち1.3億人、しかも多くは比較的給与水準の高い職種しか対象にしていない、失業が増えても、より給与の高い職種を統計化することにより、むしろ統計数字は良くなる、これは社会を欺くものだとしている。被○○というパタンは依然からあり、最近では、被小康(そこそこ、ゆとりのある生活ができるようになったことにさせられている)、被就業(就業したことにさせられている)も流行ったらしい。中国語サイトは、被○○の対象になっている人々は、基本的には、なんらの発言権、決定権も持たない社会的弱者で、必要な保護を受けられないどころか、社会的に一方的な強迫、しわ寄せを受けている人々であるとする。その行き場のない不満が、こうした言葉につながってきているということであろう。一方で、今の指導部が大衆に人気のあることを示す、什錦八宝飯(シージン・バーバオファン)、誰もが好む五目八宝菜と、胡錦涛(フージンタオ)、温家宝(ウエンジアバオ)の発音をかけた流行語もあるが、公式の発表、見解は不透明で欺瞞に満ちているとする、社会底辺の公に対する不信感はなお大きなものがある。これが、単なる庶民の不満、皮肉で終わるのか、臨界点を越えて社会不安の引き金になるのかを見極めていく必要があるが、その場合もネット上で飛び交う新たな言葉がひとつの手掛りになるかもしれない。(なお、中国語で「被」は受動態を示すが、上記のようなニュアンスがもともとあるのかどうか、あるいは用法的にも新しいのか、定かでない。)

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