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雇用破壊と企業の「緊急避難」

2009年05月28日

高橋 正明

日本中の注目を集めた年末年始の「年越し派遣村」は、雇用維持を重視する日本的経営が完全に過去のものになったことを再認識させた。6年近く続いた戦後最長の景気拡大期に、大企業は円安と外国のバブル景気のおかげで高収益を上げ、巨額の内部留保を蓄積したにもかかわらず、景気が急激に悪化するや否や、外国企業を上回る素早さで解雇に踏み切ったのである。

なぜ大企業は解雇に抵抗がなくなったのだろうか。企業に批判的な人の多くは、その理由を「行き過ぎた株主重視」に求めているようである。実際、今回の景気拡大局面において、役員報酬と配当(資本の取り分)は大幅に増加したが、雇用者報酬(労働の取り分)はほとんど増えていない。要するに、賃金を抑制して増やした利益を経営陣と株主で分け合っていたことになる。「行き過ぎ」かどうかは別として、2000年代に入って強まった「株主重視」が「雇用軽視」と裏表の関係にあることは事実であろう。

雇用者報酬/GDP

だが、株主重視主義の広がりだけでは、大企業(の経営者)の姿勢の大転換は説明できないのではないだろうか。かつてはタブー視されていた解雇をタブーではなくするためには、それを正当化する強力な論拠が必要だが、株主重視主義だけではどうにも不十分に思える。それよりも、「緊急避難」という概念こそ、解雇を正当化する根拠にぴったりするのではないか。

緊急避難とは、「自分に生命の危険が迫った場合には、他人を死に至らしめても罪にならない」といった概念である。たとえば、一人乗りの救命ボートに乗って漂流する人Aがいるとする。二人乗ればボートが沈んでしまうのであれば、Aは乗り込もうとする別の漂流者を海に突き落とし、結果的に溺死させても構わないのである。

1990年代半ばまで、大企業は「経営破綻するほどの不景気は来ない」という前提で経営を行ってきたように思われる。それなら、「不景気には経営陣も従業員も等しく耐えよう」となるのが自然であり、実際、大企業はそうやって不景気を乗り切ってきた。

ところが、97-98年の金融危機では、都市銀行や大手証券が経営破綻するという未曾有の事態が起こり、大手企業にも「明日はわが身」という恐怖が広がった。経営者が「緊急時には何をしても許される」という緊急避難心理に取り付かれたと考えれば、雇用に対する認識が180度転換したことの説明がつけられる(企業行動が非連続的に変化したことの財務面からの裏付けはこちらのグラフを参照)。労働者派遣法の改正など政策的後押しも、企業が緊急避難的行動を取ることを容易にした。

しかし、平時にも緊急避難と同じ行動を許せば社会が成り立たなくなるように、企業の緊急避難的行動にも歯止めをかけておかなければ、経済システムがうまく回らなくなる恐れがある。

かつての日本企業の強みは、上から下まで一丸となって協力するところにあったが、これは、業績が悪化したら上から下まで等しく我慢するという暗黙の了解があったからこそ可能だった。これが、「いつ何時海に突き落とされるか分からない」ことになれば、協力しようという気になるはずがない。また、職場の人々が「協力し合う仲間」から「自分を突き落とすかもしれない潜在敵」に変われば、メンタルヘルスも悪化する。このような空気が社内に蔓延すれば、リスクを取って挑戦する人は減り、経済社会全体の沈滞化も避けられない。

とはいえ、大恐慌以来の大不況への対応で必死の企業に、「雇用を守れ」と要請しても無意味である。グローバル競争が激化し、企業が雇用を守りきれなくなったことがそもそもの原因なのだから、今こそ政府の出番だろう。金融システムを守るために政府が公的資金を投入したように、労働市場の秩序(ひいては経済社会)を守るために、政府がより積極的な関与と財政負担に踏み切る必要があるのではないか。各々が「自分の身は自分で守るしかない」と考える西部劇の世界よりも、信頼できる保安官(政府)が秩序を守る社会のほうが、はるかに安定的かつ効率的なのだから。

参考:デンマーク雇用省のflexicutity解説(英語)

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