“ステータス・シンボル”となった自動車産業は不滅

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2009年04月21日

  • 調査本部 常務執行役員 調査本部 副本部長 保志 泰

世界の自動車産業は金融危機で打撃を受け、どの国の自動車メーカーも息絶え絶えの状態に陥っている。米ビッグ3の一角はチャプター11(日本で言えば民事再生法)申請の可能性が高まり、日本が誇るリーディングカンパニーは前期に続き今期も営業赤字に陥る公算だという。各国政府は次々に救済策・支援策を打ち出しているものの、政府の救済が必要になった産業は、もはや成長産業と呼ばれることはないだろう。

カール・ベンツがガソリンエンジンの自動車を実用化してから120年余り、様々な技術進歩はあったものの、根本的な構造上の革新を伴わないまま今日に至った。その後に成長した電機産業では、めまぐるしい技術革新の中で成長企業が次々に入れ替わったが、それとは対照的に、自動車産業の入れ替わりは極めて少なかった。今回の金融危機と、温暖化対策で迫られている技術革新をきっかけに、自動車業界は初めての大転回を迎えることになるかもしれない。

それにしても、全世界で自動車産業を支えて行こうとしているのは何故だろうか。確かに、関連産業の裾野は広く、雇用を失う経済・社会的ダメージは大きい。しかし、金融インフラを提供する金融機関のような公共財としての性格はなく、国を挙げて保護するべき産業ではないはずだ。思うに、この120年の間に “自動車に対する特別な思い”が我々に染み付いたからではないだろうか。自動車は単なる道具ではなく、“ステータス・シンボル”なのである。単なる道具であれば軽自動車で事足りることも多く、大企業の社長だろうが政治家だろうが黒塗りの大きなセダンは必要ないはずである。「いつかはクラウン」のキャッチフレーズはまさに保有する車種がステータスを示していたからに他ならない。50年代の米国、そして高度成長期の日本でこうした“ステータス・シンボル化”が進んだのである。現代の若者はクルマに興味を抱かないと言われるが、中年世代以上には“ステータス・シンボル”としてのイメージが刷り込まれ、いつしか国家としての“ステータス・シンボル”になった感すらある。

「身近における」「みせびらかすことができる」「高額」の三拍子が揃ったステータス・シンボルは、古今東西“貴金属”か“乗り物”なのである。その意味では、自動車の持つ特別な意味は変わらないだろう。今後、先進国では低エミッションの車を保有することがステータスになるかもしれないが、自動車を捨てるという人は多くはないかもしれない。また、世界を見渡せば、中国に続きインドなどで生活水準の向上とともにステータス・シンボルとしての存在感が増してくることになるだろう。

個人的な願望かもしれないが、こうした役割を担う自動車産業には元気でいてもらわなくてはならない。別に成長しなくてもよいから、人々の欲を満たしてくれる乗り物を提供してもらいたい。環境推進派からすれば、自動車販売の奨励に莫大な資金を投入するのは時代錯誤では?という声も上がるかもしれないが、補助金を大幅にアップして企業の電気自動車への置き換えを義務付けるくらいの大胆な政策を考えても良いときだろう。もちろん、巨大になり過ぎた業界のダウンサイジングが避けて通れないのは言うまでもないが。

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保志 泰
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