目に見えにくい長期的視点の大切さ

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2007年11月19日

先日、海外からの帰途、成田空港から東京へと向かうバスの中で改めて感じたことがある。それは、日本の街並みが新しくて綺麗なことだ。私がかつて滞在していたボストンでは、住居は総じて古く築50年程度が当たり前、中には100年近く経つ住居も存在した。町の道路や高速道路も大きな穴が開いているところもあり、街中を走る“T”と呼ばれる地下鉄もお世辞にも綺麗とは言えず、こまめに清掃や整備をしているかどうかは疑わしい状態であった。一方、日本では立ち並ぶビルや家屋がどこも新しく、高速道路や電車も非常に整備されており、一見したところ、日本の街はどの国よりも豊かである。また、日常のサービスのきめ細かさも大きく違う。米国で宅配の荷物を受け取る場合、曜日の指定はできても、当日の時間の指定ができない。私の場合、指定された日に荷物が届けられないことさえあった。翻って日本の宅配サービスは時間の指定が可能であり、その他にも非常にきめ細かいサービスが提供されているように感じる。航空会社のサービスも日本のほうが遥かに丁寧ではないだろうか。

こうした日本の見た目の物質的な豊かさは、海外に行って気づかされることが多い。しかしながら、国内にいるとなぜか豊かさを感じられないことが多い。なぜだろうか。

ゲーム理論という分野にナッシュ均衡という概念がある。各個人が相手の出方を読みながら自らの利益が最大になるように合理的な選択を行うとき、本来は全ての人にとってもっと望ましい状況が達成できる可能性があるのにもかかわらず、むしろ逆の望ましくない結果が実現してしまう。それをナッシュ均衡(非協力解)と呼ぶ。こうしたことが起こるのは、協力するよりも自分だけが抜け駆けする方がより多くの利益が得られてしまうため、皆が同じように抜け駆けしてしまい、結果的には協力体制が築かれなくなってしまうからである。但し、こうしたゲーム的状況は1回限りの場面を想定しており、もしもこのゲームが幾度となく展開されるような場面であれば、人々は長期的視点を重視するようになり、自然と互いが協力する、より望ましい結果が得られることが知られている(これをフォーク定理と呼ぶ)。

例えば、高速道路での運転を考えてみたい。高速道路では片側2車線のうち右側は追い越し車線であり、通常の運転では左側の車線を使用しないといけないというルールがある。ところが、あるドライバーは、右側車線を使う方が空いているために速く走ることが出来ると考えて、ずっと右側車線を走るとする。同じように他のドライバーも追随して、右側車線を走る方が自分の利益になると考えれば、次第に右側車線は混雑していく。このとき、車線変更したいドライバーは大きな不利益を被ることになってしまうだろう。こうした現象を回避するために、ルールでは右側は車線変更時以外には原則として走らないことになっているのである。仮にこうした明確なルールが存在しない場合でも、人々が長期的視点から合理的に行動するのであれば、自発的に右側車線を空け、緊急時に備えるように行動するものと考えられる。実際、マナーや常識といった類は、我々の生活を円滑に運営するために、長期的視点から自発的に形成されてきたものと考えられる。

しかし、人々はいつも長期的視点から合理的に行動するとは限らない。最近の行動経済学などでも明らかなように、人々は一見非合理的な、近視眼的な行動を取りやすいことが知られている。人々の視野が近視眼的になれば、相手を出し抜くことで大きな利益を得られると考えるようになる。そのため、人々は全体の利益よりも自らの利益を優先して益々協力を拒むようになり、結局はより達成度の低いナッシュ均衡の状態に至ってしまう。つまり、長期的視点を欠いて自らの利益ばかりを追求していけば、最終的には自らも不利益を受けてしまうのである。この概念は、先ほど私が述べたことや今日の日本の問題に大きなヒントを与えてくれるような気がする。

現在の日本は、見た目では世界で引けを取らない生活環境を提供しているように思われる。日本はこれまでにも優れた技術やサービスを生み出しており、表面的な豊かさは享受できている。ところが、最近ではマナーやルールにあまり配慮せず、皆が我先にと自らの利益を求め続けてきた結果、次第に我々は潜在的な豊かさを失いつつあるのではないか。近年、諸外国と比べて相対的に日本株が冴えないのは、長期的視点が欠如しつつある我々に対する警告であるような気がする。長期的視点で物事を考えるには、全体を見据えた総合的な戦略が必要で、そのためには互いに協力する公共的な意識が大切である。

これまで日本が社会生活の中で長年築き上げてきたマナーや社会的道徳、常識などの社会的ルールは、社会生活をうまく運営するための先人たちの知恵であり、これらは長期的視点で物事を考えることの必要性を示している。我々は自らが取った行動の結果、廻り回って自分にどのように跳ね返ってくるかというフィードバック効果をもっと意識すべきである。そのためには、今一度、ルールやマナー、道徳観などのこれまで長年我々が培ってきたものが示す意味を、改めて考え直す時期が来ているようにも感じられる。

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溝端 幹雄
執筆者紹介

経済調査部

主任研究員 溝端 幹雄