性悪説と弱い紐帯

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2007年11月13日

  • 栗田 学
どんな商品でも購入には多少のリスクを伴う。初めて購入する類の商品ならなおさらである。そのリスクを冒しても商品を購入するのは、必要に迫られているという事情のほか、基本的に生産者や販売者への信頼があるからであり、その意味で購買行動は性善説に立脚したものといえる。

食の安全の例を持ち出すまでもなく、ここ最近、性善説に立脚した購買行動を取りづらくなってきた。消費者は疑心暗鬼に陥り、購買行動に性悪説的前提が置かれることが少なくない。ただ、性悪説的前提の蔓延は購買行動にとどまらない。

内部統制に関する一連の動きをイメージすればわかる。例えば、J-SOX対応は会計処理をはじめとする業務全般に潜むリスクを洗い出し、その1つ1つにどう対処するかを取り決めておくことが基本である。ここでは必ずしも人間が性善説にしたがって行動するという前提はなく、性悪説を前提に検証した上で極力不正ができない仕組みにしておくことが求められる。大部分の人間が性善説に沿った行動をとるのに、一方で性悪説に立った様々な取り決めが存在する組織が評価されるというのは、資本市場が生み出した皮肉ともいえる。

ただ、作った規則をどう運用するかは時に難しい判断を迫られる。例えば、業務に使うことが前提となっている資産の「私用禁止」は、組織のマネジメント活動の産物としてよく耳にする。この規則に照らせば、業務上の連絡に勤務先のパソコンからメールを送ることは問題ないが、週末のプライベートの予定調整に同じやり方をすることは問題がある。しかし人間関係はそう単純ではない。業務に直接関係はないものの、たまに会えば多くの情報が得られるかつての同僚や、組織外のコミュニティとの交流の場の設定は、「私用」にあたるかどうか。これは規則をどう運用するかにかかっている。仮にクロと判断されるなら、他の手段をとらざるを得ない。ただし、かなり親しい仲にならない限り、勤務先の電話や端末以外の私的連絡先にコンタクトをとることには敷居がある。その結果、以前は「たまに会っていた人」との関係が切れてしまうことが懸念される。

たまにしか会わない人たちとの情報交換は、日常的に顔を合わせている相手よりも冗長性が低く、それゆえ情報収集や伝達が極めて効率的に行われる。すなわち、情報を得るという視点で見れば、同じ部署で日頃から共に仕事をしている「結びつきの強い人」よりも、どちらかといえば疎遠で、コミュニケーション機会が限られている「結びつきの弱い人」をどれだけ持っているかが重要なのである。これは社会学において「弱い紐帯(ちゅうたい)関係」と呼ばれ、マーク・グラノベターが1973年に発表して以来、多くの論文に引用されてきた。

情報活用の優劣が競争力を左右する今日、弱い紐帯を数多く持っていることは、個人にとっても組織にとってもマイナスに作用することはあるまい。組織の統制活動が注目を集める中、業務に関わる取り決めは質・量とも充実してきている。しかし、弱い紐帯を切るような運用は避けるべきであろう。

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