金融教育について

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2007年09月12日

  • 牧野 潤一
貯蓄より投資へ。自己責任という大きな海原に投げ出されても、漂流してしまう大人が多いだろう。だから、子どもの頃からの金融教育や投資教育を日本でも、充実させるべきという声を聞くことが多くなった。

アメリカでは、投資教育と訳され、1974年にエリサ法で、企業の年金制度が先行き、破綻するということで、経営者は従業員に年金のことを詳しく説明、教育しなければならないと法律で定めた。94年に、幼稚園から小学校でも、「アメリカ人はすべからく経済教育を受ける権利と義務がある」と教育法で制定した。どうやっていくかの方法論は、NPOに任せた。イギリスでは、サッチャー首相が教育法を制定して、シチズン・シップ(市民としての基礎的な人間力)、その一番重要なパワーになる経済・金融教育の知識を中学校時代に徹底的にやるという形をとり、全国縦断的に全く同じ形で経済・金融教育を行っている。米国は投資学、イギリスは一般教養という考え方の違いがある。日本においては、まだ明確な定義がなされていない。現在、金融庁の金融経済教育の懇談会などで、議論されている状態である。懇談会は、この教育が必要になった理由を「経済・社会の変化の中で、個人が金融資産の運用について、自らの責任で意思決定する期間・機会が人生の中で格段に増加している。(途中略) 金融環境の変化の中で、個々人が情報を活用して利便性・価値を向上させる機会が増大する一方、中には金融商品の持つリスクに気づかなかったり、だまされて損する事例も生じている。こうした時代の変化により、金融経済教育の充実は、いまや社会が要請するところとなっている。」

グローバルなディスインフレの下では低金利の貯蓄から高利回りの投資に向かうのは自然の流れであり、また、グローバルな労働分配率の低下では、企業・株主寄りとなった収益分配を労働者が株式保有によって取り戻そうとする誘因も働く。個人の貯蓄から投資という流れは必然的なものと言える。

子どもの教育は基礎的能力、知識をつけていく上で必要であろう。しかし、値動きの激しい相場を予測していくことは投資のプロでも難しい。ましてや働き盛りのサラリーマンや家庭の主婦が知識・情報を集め、分析して最適な投資を常にしていくことは、実際のところ不可能に近い。個人投資家の教育そのものも必須であるが、求められるのは個人投資家のエージェントとして機能する資産運用者の能力であろう。金融産業は製造業のようにモノは生産しないが、情報を生産する産業であり、そこに利益の源泉がある。低リスクの貯蓄から高リスクの投資の流れが定着するには、金融機関のより高い情報生産能力が必要であり、個人というよりもそのエージェントである資産運用者側の情報収集力、分析力、予測力、説明力の一層の向上が重要であろう。

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