司法教育の拡充について

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2007年09月10日

  • 山中 真樹
裁判員制度が2009年5月までに開始されることもあり、ここにきて司法教育拡充の動きが顕著となってきている(「司法教育」という用語には、法曹育成のための教育を含めることもあるが、本稿においては法曹以外の一般人向け教育に係る部分に限定することとする)。裁判員制度に関する啓蒙はもとより、法曹関係者自らが小中高等学校の生徒等を対象に、司法に関する講義をしたり、模擬裁判を実施したりするといった取組みがなされているそうである。

我が国では一般人にとって、立法、司法、行政の三権のなかで司法が一番縁遠い存在となっているようである。最高裁判所の裁判官に対する国民審査制度なども、憲法上の極めて重要な制度であるが、国民の理解が充分に得られているとは言い難い状況にあり、残念ながら形骸化してしまっている。そもそも、現職の総理大臣の名を知らない国民は殆んどいないと思われるが、現職の最高裁判所長官の名を知っている国民は極めて少数と思慮される。ましてや、各裁判官がどのような人物でどのような判決にどのように対応したのかなど一般国民に了知される状況にはないと言っても過言ではなかろう。

過去の歴史等から、国民一般にとって「法」とは上から降ってくるもので、自らの中に発見していくものであるとか、自らが創造していくものであるとの認識が乏しいのであろう。今後は、市民ひとりひとりが「法」の形成、運用に関与することが民主主義の基本であるとの意識が国民全体に行きわたることが望まれよう。

弁護士がアンビュランス・チェイサー(救急車を追いかける人)と揶揄され、異常とも思われる巨額賠償訴訟が相次ぐアメリカ型の司法社会が望ましいとは決して思わないが、ウォーレン・コート(ウォーレンは1950-60年代の米国連邦最高裁判所長官)に代表されるように、最高裁判所長官の名が一時代の象徴となるアメリカと上述した我が国の現状とを対比すれば、民主主義の成熟度合いには大きな差があると言わざるを得まい。司法や裁判の仕組みを啓蒙することも重要であるが、より大きな理念・哲学を国民的に共有できるような司法教育の拡充を切に願うところである。

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