19世紀の欧州

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2007年09月03日

  • 原田 泰
休暇で欧州の古都を巡りながら、19世紀について考えた。18世紀は、革命と戦争の時代だった。ところが、ナポレオン戦争が終わると、20世紀の第一次世界大戦まで、ほぼ100年間、欧州に大きな戦争はなかった。普仏戦争などはあったが、ナポレオン戦争や第一次世界大戦に比べれば戦争とも言えないようなものだ。

戦争をしない欧州は何をしていたかと言えば、都市を建設していた。パリの街並みが整備されたのは19世紀の中頃だ。ウィーンが美しく整えられたのもそうだ。プラハやブダペストもそうだと知った。ブダペストの豪華壮麗なオペラハウスは、オーストリア皇帝の補助金を得て建設された。補助金を出す条件は、ウィーンのオペラハウスよりも小さくすることだった。

当時は、オーストリア=ハンガリー帝国の時代で、オーストリア皇帝はハンガリー王でもあった。この時代となると、皇帝も属領を搾取してばかりいるわけにもいかず、オペラハウスに補助金を提供して人気取りをしなければならなかった。もっとも、皇帝と皇妃専用の入り口やVIP席があるのだから、補助金なしでは大騒ぎになっただろう。ブダペストは、内部をウィーンのオペラハウス以上に飾り立てることでこれに答えた。ブダペストの国会議事堂も豪華壮麗である。オーストリア皇帝に、自分たちの力と意志を見せないとならないからだ。

当時、欧州に来た明治の元勲たちは、パリの壮麗さは形ばかりのもので、国力の弱さを誤魔化すものだと腐している(久米邦武『米欧回覧実記』岩波文庫)。私は、これを読んだとき、明治の日本人は鋭いと感動したが、今になってみると間違っていたのではないかと思う。明治の日本人が、パリを腐したときから、日本の都市が醜くなることが決まったのではないか。

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