ブラックの功績に思う。

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2007年06月11日

  • 井上 学
1997年にブラック・ショールズのオプション評価モデル(BS式)の功績に対し、マイロン・ショールズとロバート・マートンにノーベル経済学賞が贈られた。その記念すべき年から、今年でちょうど10年になる。受賞の翌年には、二人が参画していたLTCMが破綻する等、当の本人達にとっては、必ずしも華々しい10年だったとは言えないだろう。しかし、BS式の導出に重要な役割を果たした「伊藤の補題」の伊藤清も、昨年、第1回のガウス賞を受賞した。BS式の貢献者達が皆、大きくスポットライトを浴びた10年だったといえる。

それ故、BS式のもう一人の貢献者であるフィッシャー・ブラックが1995年に亡くなったために、ノーベル賞を受賞できなかったことは非常に残念でならない。ショールズとマートンが偉大な研究者であることはもちろんだが、研究成果の幅広さという点では、ブラックこそがファイナンス理論の発展への最大の貢献者といえるのではないだろうか。例えば、有名なものでは、デリバティブ関連では、金利モデルのブラック・ダーマン・トイモデルが挙げられるし、ポートフォリオ関連でも、ブラック・リッターマンモデルが挙げられる。

ブラックがそれだけ幅広い研究成果を残すことができた理由は何だろうか。ブラックのエピソードでは、常にメモを持ち歩き、何かアイデアが浮かぶと、自らの大学の講義中であれメモへの記録に没頭していたようである(※1)。一つのことに取り組む日々の集中力と持続力がその理由の一つであることは間違いない。

あともう一つ、彼の経歴をみれば、多様な環境と人から何かを学び続けてきたことも、大きな理由だろう。コンサルティング会社のアーサー・D・リトルを皮切りに、シカゴ大学やMIT、そして最後はゴールドマン・サックスに身を置いたが、例えば、アーサー・D・リトルで出会ったトレイナーのCAPMに、生涯にわたるような刺激を受けたようである。

こうして考えてみれば、天才に近づく方法は、日々の取り組みと周囲の人や環境から学ぶことといった、あまりにも当たり前でシンプルなことなのかも知れない。ブラックの功績に思いを馳せ、ふとそんなことを考えた。

(※1)ブラックの功績や人となりは、「金融工学者 フィッシャー・ブラック」(日経BP社)が詳しい。

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