わが国の教育に求められるもの

RSS

2007年02月14日

  • 鈴木 誠
先週のことであるが、半ば凍るハドソン川を渡るフェリーに乗り込むと通勤の合間に手にするローカル新聞を食い入るように見入る光景がいつになく多く感じた。そこには、ニュージャージー州における公立学校(小学校から高校)全校の英語ならびに数学の統一試験の平均点、そしてSAT(高校3年生向け全米大学統一テスト)のスコアが掲載されていた。この一覧はある意味で各市町村の教育に関する力の入れ具合が白日の下に晒されるといってよい。これは学校の通信簿ともいうべき性格であるから校長をはじめ教員が1年で最も身が引き締まる瞬間であろう。

フェリーの乗客の関心事は、自分の子供の在学する学校、あるいは自ら居住する地域の学校のスコアがいかなる位置にあるかにある。特にSATは大学に進学する際の学力考査要素のひとつであり、著名大学への進学を志す場合、高いスコアが要求されることとなるからいわば地域の知的水準の代理変数といってよい。わが国であれば、子供の教育を過ぎてしまえば関心が薄れるところであるが、米国人の教育への関心の高さは、単に知的好奇心が強いということだけではない。自らの居住する地域の固定資産税によって教員の報酬や運営費が賄われていることに強く関係しているのである。

第一に高い固定資産税に十分に見合った教育面での成果を挙げているか、というアセスメントである。十分な成果が上がらない場合には予算支出の見直し、税負担の見直し、さらに、教育現場の改善を促すことが必要とされる。

第二に現場での指導に関する実行性の検証の意味もあるだろう。数ヶ月前には、同じ様に公立学校が一覧となって学校教育における現場の評価が掲載されており、「注意」、「指導」などの措置が各校ごとにマークされていた。これらの指導力の評価と今回の生徒の学力の相関性を測って、教員への指導や改善を務めていると見られる。

第三はコミュニティーの維持への関心である。隣町と競って優秀な生徒を多く輩出する名声を築けば、全米から有能な生徒予備軍を持つ家庭が町に引っ越してくる、また、その固定資産税の増収によって一層充実した子女教育を提供することができるのである。つまり、教育を軸にコミュニティーを好ましい形で育むことができるというわけだ。他方、コミュニティーの崩壊は、地域が住み難くなるだけでなく、保有する資産(不動産)価格の下落にもつながる。

こうして見ると、わが国の納税者が教育に無関心過ぎることや教育現場の情報公開が米国ほど十分でないことも教育の形骸化や学力の低下を生じる、あるいは助長する一因となっているのではないだろうかとハドソン川の氷を眺めて感じた。

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。