経済格差と海外出稼ぎ労働者

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2006年12月18日

  • 児玉 卓
地理的な経済格差は貧しい土地から豊かな土地への人の流れを作り出す。経済発展段階や工業化の度合いにかかわらず、農村から都市への人の移動、いわゆる都市化は多くの途上国に共有される現象である。中国のように、沿海部での急速な工業化が人をひきつける、Pull型であれば問題は少ない。しかし、農村部等でのあまりの困窮の故に、やむなく人が都市へと押し出されるPush型は、都市におけるスラムの膨張を招き、深刻な社会問題を引き起こす。こうした事態を歓迎するのは一部の国際NGOくらいなのだが、残念なことに、途上国における都市化の多くはこのPush型である。付け加えれば、前述の中国も、制御不能な流民の波の発生(Pull型からPush型への転換)を恐れるがために、「格差」の拡大に神経を尖らせているのだろう。

国境を越えた人の流れを生み出すのも経済格差である。フィリピンやメキシコは主要な海外出稼ぎ労働者の供給国であるが、当然のことながら彼らが目指すのは自国よりも豊かな(あくまで経済的にという意味だが)国であり、メキシコについては地理的条件から専ら米国である。とはいえ、彼らの多くは必ずしも、途上国のスラム居住者、或いはその出身家庭ほど貧しいわけではない。喰うに困る程ではないが、自国に相応の就労機会が不足していることを背景とするケースも多い。労働市場の需給ミスマッチを自力で解消するために、海(柵?)を越えるわけであり、経済の理屈からすれば資源の適正配分、望ましいことという他はない。

しかし問題はさほど単純ではない。例えば日本との経済連携協定に基づき、看護師、介護福祉士の受け入れが決まったフィリピンでは、医師や教師など、専門職従事者の海外流出、国内での人材不足が深刻化している。同国における海外出稼ぎ労働者からの送金はGDPの10%超に達しており、もはや出稼ぎ無しに現在の経済・生活水準を保つことはできない。一方で、医療・教育などの基礎的社会インフラが劣化の危機に瀕しており、長期的にはこちらのマイナス効果がまさってしまう恐れもある。
こうした状況に対し、ある国際機関は出稼ぎ労働者の受入国が供給国に対して一定の補償金を支払うというスキームを提案している。受入国は出稼ぎ者が本国で身につけた専門技術によるサービスを享受しているのだから、その人的資本育成のコストを負担するのは当然だというわけであり、やはり経済の理屈から出てくる発想である。しかしコストの増大は、当たり前だが受入国による人材受け入れの誘引を阻害する。或いはコスト負担の原資を、出稼ぎ者への支払い賃金の削減に求めるかもしれない。PullとPush、いずれのベクトルも力が弱まり、人の流れが滞る結果となろう。

それに付随する、或いはより本質的な問題であるかもしれないが、人の流れの停滞は、子供や若年者の希望のようなものを奪うことにもなる。ひいては、教育を受けるインセンティブの低下にもつながるだろう。まさか、それで減った教師との需給バランスが回復するから万々歳というわけにも行かない。

何しろ問題は複雑である。出稼ぎ労働者からの送金への依存は、人材供給国の勤労意欲を阻害しているかもしれない。それが結局、経済発展の足枷となり、雇用機会創出の失敗から、ますます出稼ぎへの依存を強めるという結果になっているのかもしれない。とはいえ、だから出稼ぎの誘引、利益を押さえ込めばよいというのもあまりに短絡的である。

日本におけるフィリピン等からの人材受け入れに関しては、既得権の抵抗による煩雑な手続きと、「嫌々ながら」の態度が目に付くが、外交は国益追及の場であるからある程度は仕方がない。しかし少なくとも我々は、これら人材供給国が日本の既得権などよりもよほど複雑で深刻な問題を抱えていることを理解するべきであろう。

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