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デファクトとデジュール-合意形成のかたち-

2006年09月14日

小倉 正美

地球規模での経済の自由化・市場化、いわゆるグローバル化は、国際的なヒト・モノ・カネ、情報の活発な交流をもたらすとともに、製品規格や制度規範に関する「標準化」を大いにすすめた。

標準化は、その形成過程の違いから、「デファクト標準」と「デジュール標準」に大きく二分される。デファクト標準(de factostandard)は事実上の標準(※1)といって、市場で多くの人に受け入れられることで事後的に標準となったものをいう(※2)。例えば、マイクロソフトのWindows、VTR規格のVHSがその典型だ。一方、デジュール標準(de jurestandard)は、公的な機関での話し合いの結果、標準として合議されたものである。ISO/IECなどの国際規格、JISなどの国内規格がこれに当たる。(ちなみに、金融の世界、例えばリスク管理の場合だと、分散共分散法(JPモルガンが提唱し多くの金融機関が採用したVaR計測手法)はまさにデファクト標準であり、バーゼル合意(いわゆるBIS規制、国際決済銀行で定期的な見直しがおこなわれる金融リスク監査の枠組み)はデジュール標準にほかならない。)

では、標準としてふさわしいのはどちらだろう?——と、考えたくなるのが常だが、どうも、これには明確な答えはなさそうだ。というのも、その同じ問いは、「市場」と「合議(議会)」の是非を問うことと等しいからである。市場は、競争を通じてモノの価値を測るための有効な手段であるが、往々にして市場が勝者に独占され公正さが失われる。かたや、議会は、自由な意見交換を通じて合意を得るための有効手段ではあるが、多数決の結果、多数派の意見のみが採用されがちだ。このようにいずれも一長一短があり、どちらか一方だけを選ぶことはできない。結局、問題は、二者択一にはなく、両者の利点をひきだし欠点を補いつつ、いかに使いこなすかという点にある。

そもそも市場と議会は、市民革命の際、権力(王/教会)による権力のための意思決定に代わって、人民による人民のための意思決定の手段として採用された、いわば近代社会の2大意思決定ツールである。その是非は、以来、数百年にわたって、政治・経済・社会のいたるところで事あるごとに議論されてきた(※3)。立場の違いで主張が異なってしまう微妙な問題だけに、未だ確たる結論を導くことができずにいる。ただ、前述のとおり、市場と合議は両立させるものであることだけは確かである。標準化に話をもどせば、標準について議論をつくし、それを市場にかけること、そしてさらに、よりよい標準を求めて改良を繰り返す、いわゆるPlan-Do-Seeが、やはりここでも大切だといえそうだ。

(※1)“de facto”は事実上(in practice)、“dejure”は原則上(in principal)の意)を意味するラテン語。
(※2)巷では、グローバル・スタンダードとよんで、日本を襲う黒船のごとく扱う向きもあるが、そもそもの原義にそういったニュアンスはない。
(※3)アカデミズムの世界では、個人の権利(自由と平等)と社会秩序の両立を検討する「法哲学」、市場の効率性・最適化を考える「厚生経済学」など、政治学/経済学/社会学の基礎論を扱う分野で議論されている。

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