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中国の「赤い資本家」の浮沈

2006年09月07日

肖 敏捷

20世紀の40年代前後には、上海の鉱工業総生産の8割近くは私有企業によるもので、その隆盛期の頂点に立ったのが栄毅仁氏率いる大財閥であった。社会主義中国が誕生してまもなく、私有企業の急速な国有化が始まり、資産を携えて海外へ逃げる経営者が相次ぐ中、栄氏は上海に残っただけでなく、国有化への協力も惜しまなかった。当時の上海市長は、栄氏の対応を「赤い資本家」と高く評価し、毛沢東氏も栄氏の会社の視察に訪れた。その後、栄氏は政界入りし、国家副主席に抜擢されるほど共産党からの絶大な信頼を勝ち取った。しかし、79年に政府系投資会社の総裁に指名されるまで、30年近く実業の世界から遠ざかったことから、「赤い資本家」は資本家の存在が完全に否定されたことを意味する皮肉な表現となった。

80年代に入り、中国が門戸開放政策を打ち出したのに伴い、政府系企業が相次いで香港に進出するようになった。その経営トップのほとんどが北京政府から送り込まれた共産党高官であったため、「赤い資本家」という呼び名が香港で復活した。香港という中継港を利用して金融、貿易などのビジネスを展開する点では資本主義の香港企業と変わらないが、香港の中国への返還に備え、情報収集などアンテナ的な役割を果たすことが「赤い資本家」の本業だったのかもしれない。しかし、レッセフェール政策(自由放任主義)の下、半世紀前に国有化という革命の嵐から逃れた中国系資本家が、商才を存分に発揮しているのを目の当たりにした「赤い資本家」の多くが、本土に戻った後で改革派の中心的な存在として知られるようになったのは、香港での資本主義体験と無関係ではなさそうだ。

92年春、香港に隣接する広東省を突然訪問した鄧小平氏が、改革、開放の加速という号令をかけたことを受け、中国は社会主義体制を維持しつつ、市場経済体制に移行することを決意した。大型国有企業が香港上場を果たした93年以降、中国は正真正銘の「赤い資本家」が大量に誕生する時代に入った。上場企業のトップには、通信や石油など世界級の株式会社の経営者であると同時に、共産党や政府の序列においても大臣や次官クラスの待遇を受けている大物が少なくない。自由経済の波が政治体制へ押し寄せるのを食い止める防波堤の役割を果たすのか、それとも真の市場経済体制を実現させる改革の急先鋒となるのか、「赤い資本家」の行方に注目したい。

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