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人口力 (じんこうりょく)

2006年07月18日

清田 瞭

人口は、「力(ちから)」である。最近、そう感じている人が多いのではないか。たとえば、中国脅威論、インド有望論、日本の少子化問題など、すべて、人口が「力(ちから)」だとの認識に立った議論であろう。また、こうした議論に限らず、ある国の将来性を考える場合、多くの人は、まず人口規模に注目するのではないか。人口は、明らかに、経済力、軍事力、文化力、そして、トータルとしての国力の重要な要素として位置付けられているようだ。

思うに、一昔前までは、人口の多さは、あまり、「力(ちから)」とは認識されていなかった。18世紀末、英国の経済学者トマス・ロバート・マルサスが著書「人口論」の中で「人口は、制限がなければ幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しないので、人口の伸びは食糧生産の伸びに規定される」と指摘していたように人口増加は、むしろ、食料不足や飢餓といった「貧しさ」と関連づけられていた。

この説の真偽はともかく、実際に、人口規模の大きな国を見ると、中国(約13億人)、インド(約11億人)、インドネシア(約2億3千万人)、ブラジル(約1億8千万人)、パキスタン(約1億5千万人)、ロシア(約1億4千5百万人)、バングラデシュ(約1億4千万)というように、いわゆる、経済発展途上で必ずしも豊かとは言えない国々がほとんどである。先進国で人口が1億人を超えているのは、米国(約3億人)と日本(約1億2千8万人)の、わずか2国だけである。

さて、国連は、出生率が現状のまま下がらなければ、2050年には、世界人口が120億人になるとしている。現在から、約2倍の規模だ。凄いペースと数だと思う人もいるかもしれないが、1950年からの僅か50年間でも、約26億人から約62億人へと2倍以上に伸びている。過去の50年と比べて、技術レベルや経済面の地域的広がりに、相当の進展が見られることを考えれば、これからの50年で、人口が2倍になってもそれ程驚く話ではないだろう。

では、何が人口に対する人々の意識を変えたのか。これには、技術革新や貿易自由化の進展に伴う食料確保の環境変化が大きく影響している。すなわち、技術革新がそれ程生まれず、また、国ごとの貿易が活発でないような世界では、自ずと食料確保には限界が見えてくる。その状態で人口だけ増えれば、その国は、一人あたりの取分は減るわけで、まさに、人口の多さ=食料不足=貧困だったわけである。

一方で、技術革新が次々に生まれ、国ごとの貿易も活発化して地域的広がりが実現した世界になればどうか。食料確保の方法は各段に向上し、より容易に、そしてより安価に食料を手に入れることが可能となる。食料が不足しそうであれば、生産技術改善、品種改良、新たな耕地開発などを行い、生産量を増加させることや食料が存在する国から輸入を行うことが可能となる。こうした状況では、人口維持に必要な食料コストや食料不足のリスクが以前ほど意識されなくなってきた。そのため、人口の多い国が、ひとたび経済成長し始めると、人々は、デメリットには、あまり注目せず、人口の多さを、そのまま経済力や国力の拡大という、いわゆる「力(ちから)」として認識するようになったのである。

そして、高い成長率が期待される国は、比較的食料自給率も高く、当面、人口は、「力(ちから)」として認識され続けそうだ。政治力、経済力、財力などと同じように、人口力(じんこうりょく)という言い方があっても、おかしくないかもしれない。

 

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