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米国における寄付の精神

2006年05月11日

鈴木 誠

米国で生活すると週末の夕刻時、家族団らんのひと時に電話の音が響くことがよくある。電話を取ると、一方的に「○×警察互助組合です」とか「消防△□地域組合です」などと公共機関の名前を語る。大体、受ける方は「またきたか」と思いつつ、次第に気分が憂鬱に染まってくる。そして、決まって「寄付をお願いします。大きなメダルは75ドル、中ぐらいのメダルは50ドル、小さいものは25ドルですが、どれにしますか?」とのたまう。こちらは寄付をするとも一言も話していないのに早口で捲くし立てるのが常套手段である。さらに応えを渋ると先方は「これは税控除の対象ですから」と決まって付け加えることを忘れない。ただし、多くの人はここで一言断って電話を切ることが多いようで、まともに取り合う人は少ないようだ。

さて、ここでは「寄付を求める電話をいかに断るか」ではなく、米国における寄付について焦点を当てたい。先ほどの例のごとく、寄付金の依頼はほとんどすべて所得税控除と密接に関連していることがよく判る。つまり、寄付を求める団体は、税金として治めるのであれば、分からない目的に利用されるよりも「わが団体に寄付を」という理屈らしい。一般的な米国市民は、所属するコミュニティー(地元市町村)の警察や消防署への寄付はいとわない。なぜなら、日頃の防犯や消火などで世話になるのは市町村に所属する警察であり消防だからである。一方、市町村から一段上の行政単位である郡や州のレベルとなると住民の帰属意識に寄付を求めることはいささか困難であり、日曜の無差別電話による寄付の募集につながっているのではないかと一人納得している。

これら米国の寄付総額は23兆円とわが国のそれの100倍以上に上るという。上述したようなケースの割合はさほど高いとは思えないが、いわゆる高額所得者による寄付行為は広く浸透しており、キリスト教精神に基づくチャリティー(慈善事業)とは異なる面で大きな役割を果たしている。事実、米国の大学における財源の多くは寄付に基づく財団運営によって賄われている。

こうした寄付行為は、社会やコミュニティーへの当然の利益の還元であるとか、あるいは言葉の悪い人達に言わせれば偽善行為であるなど評価が分かれるが、精神面が語られることは少ないように感じる。私は米国における寄付の精神とは「強者が弱者を助ける」といったジェントルマンシップあるいは騎士道精神への憧れと実践であり、階級社会と決別した米国の特に富裕層においていわば美徳あるいは規範として、彼らの心を強く捉えているように感じる。一般的に、米国には功利主義がはびこっていると見られがちであるが、日本で失われてしまった高邁な精神が社会に強く根ざしている点は、わが国でも見習うべきであると考える。

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