アインシュタインのもう一つの遺産

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2005年04月12日

  • 山下 真一

近年、情報技術が発達したことにより、証券市場のティックデータ(※1)がデータベースに蓄積され利用可能になった。この膨大な情報を用いて多くの研究者や実務家が精力的に市場構造を研究しているが、なかでも経済物理学と呼ばれる分野の研究者達は統計力学を駆使して著しい成果を挙げている。彼らの最新の研究では、市場において「アインシュタインの関係式」が成り立つことが報告されており、学術と実務の双方で注目を集めているという。一体、市場とアインシュタイン(※2)との間にはどのようなの関係があるのであろうか。

1905年、スイスの特許局に勤務していたアインシュタインは3つの論文を立て続けに発表した。そのどれもが20世紀物理学に革命的な発展をもたらしたため、この年は「奇跡の年」と呼ばれている。

奇跡の年に発表された論文のうち、最も有名なのは特殊相対性理論に関するものであろう。アインシュタインはこの論文において、光速度不変原理と相対性原理を基礎として、4次元時空間として物理世界を構成し、時間や空間に対する認識に革命をもたらした。2つ目の業績は光量子仮説に基づき光電効果を説明したことにより量子論の基礎を与えたことである。これによりアインシュタインはノーベル物理学賞を受賞した。

3つ目の業績は、分子の大きさを決定する方法に関するもので、アインシュタインはこれで博士号を取得している。花粉に含まれる微粒子が水中で不規則な運動をする現象は19世紀から知られていたが、その原因は不明であった。アインシュタインは、この現象は水分子が粒子に無秩序に衝撃を与えることから生じていると説明し、その当時未だ確かめられていなかった原子論に理論的証拠を与えた。この論文はその重要性にもかかわらず上記二つのあまりにも偉大な業績の影に隠れてしまい、専門家以外には知られることは少なかった。

しかし経済物理学者達は証券市場の普遍的な構造を明らかにするためにこの論文に着目した。実際、彼らは、微粒子は証券価格、水分子の運動は市場参加者の取引行動というアナロジーのもとにアインシュタインと同じ思考経路を辿った。そして市場構造に関して、今日アインシュタインの関係式(※3)と呼ばれているものと本質的に同一である関係式

 (価格変動の大きさ) ∝ (マーケットインパクト(※4))×(取引頻度)

が成り立つことを証明した。ティックデータによる実証分析の結果、現実の市場においてもこの関係式の正当性が確認されている。そしてこの式のもと、新たな市場構造理論や最適投資戦略理論の研究が始まっている。

今年は奇跡の年から100年目にあたる。これを記念し、国連は2005年を国際物理年と決議している。アインシュタインは金融市場のような形而下のものには関心を抱かなかったと思われるが、その理論は図らずして時空を越え、社会科学において物理的思考の不合理なまでの有効性を示したといえる。

(※1)ティックデータとは、市場における約定と気配に関する価格や量等の時系列データのこと。
(※2)アルバート・アインシュタイン(1879-1955) ドイツ出身の理論物理学者。1921年にノーベル物理学賞受賞。
(※3)アインシュタインの関係式は (粒子の変動の大きさ)∝(粒子の動きやすさ)×(温度) とかける。これは非平衡統計力学において最も重要である遥動散逸定理の一例である。
(※4)マーケットインパクトとは、売買取引が市場価格に与える影響のこと。マーケットマイクロストラクチャ理論で最も重要な概念のうちの一つである。近年、金融機関においても執行業務におけるマーケットインパクトへの関心が高まっている。

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