銀行の「減点主義」、役所の「前例主義」とその背後の職業倫理
2025年11月10日
企業文化を語るとき、銀行の「減点主義」、役所の「前例主義」という言葉がよく引き合いに出される。両方の職場を経験した身として振り返ると、確かにそうした傾向はある。だが、それをすぐに「旧弊」と決めつけるのは少し早い。それぞれの仕事の性質に根ざしており、ある種の職業倫理の反映でもあるからだ。
例えば、銀行が扱う「お金」だが、現実に手に取れる現金はごく一部で、帳簿やデータの上にしか存在しない「預金」がほとんどだ。このような実体のない数字を流通させるには、「預けたお金はいつでも戻ってくる」という信頼が必要だ。それを支えるのが、銀行の教訓、「現金その場限りの原則」に象徴される、やり直しを許さずその場で完結する確実な処理である。業務では1円の過不足も許されない。些細なミスでも見逃さないのは、その積み重ねが信用の基盤であることを銀行員が共有しているからだ。減点主義の背景には信用秩序を守る文化がある。
次に、役所が担うのは公権力である。税金を集め、許可を与え、ときには罰則も科す。その判断に恣意や気分が入り込むことは絶対に避けなければならない。人に対しても、時期に対しても公平無私であることが求められる。だからこそ法律にこだわり、過去の判断との整合性を重んじる。この時間軸の公平無私が転じて「前例主義」と呼ばれるようになる。要するに、前例を守るとは、民間と違って「顧客」を選べない役所が、いつでも、誰でも、どのような場合でも平等に扱うための作法でもある。
もちろん、どちらの文化も度を超えれば弊害となる。新たな挑戦が難しくなったり、技術や社会の変化への対応が遅れたり、杓子定規のあまり人間味が薄れたりすることもあるだろう。これには気をつけなければならない。ただし、それを一概に旧弊と断じるのは簡単だが、その背景にある職業倫理を知れば見方は少し変わる。慎重さの裏には、現場で働く人々の、信用秩序や法治社会を守ろうとする真摯な姿勢と責任感があるのだ。
役所といえば、予算の「使い切り」もたびたび批判の的になるが、これにも年度間の公平という考え方がある。身近な例で考えてみよう。食事会の割り勘で、同じメンバーが次回も集まるとは限らない場合、余ったお金は次回に繰り越さず、その場で精算したくなるものだ。予算執行も同様に、今年度の税で今年度の住民にサービスを提供することで、年度間の公平を保とうとする発想がある。この原則が硬直的な予算消化を招く現実はあるが、背後にある考え方を知れば見方が少し変わるだろう。
広く社会を見渡せば、銀行や役所以外にも似た話はあると思う。世間では旧弊と思われる企業文化でも、業界特有の事情があり、そこで働く人々の職業倫理や矜持が宿っていることがある。一寸立ち止まり、その背景に目を向けるとき、私たちは少しだけ寛容になれるのかもしれない。
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政策調査部
主任研究員 鈴木 文彦

