インフレ税は「憲法違反」?
2025年09月19日
日本の政府債務の対名目GDP比は200%を超え、他の先進国と比べて突出していることはよく知られている。
だが、最近はインフレによって名目GDPが増加している。そのため、基礎的財政収支(PB)が赤字であるにもかかわらず、政府債務の対名目GDP比は緩やかに低下している。インフレによる債務の実質的な減少額が180兆円に達するとの指摘もある(※1)。
インフレのみで債務を減少させることができるのであれば、政府にとっては好都合だ。国民に負担を強いる歳入の増加や歳出の抑制を実現しなくてもよいからだ。
もちろん、インフレが進めばいずれは金利が上昇して債務負担が生じるが、短期的には、政府債務の対名目GDP比に低下圧力が働く。
一方で、日本国憲法第84条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と定める。
これは、法律の分野では「租税法律主義」と呼ばれる。日本国憲法に特有のものではなく、13世紀の英国の「マグナ・カルタ」や、18世紀のアメリカ独立戦争における「代表なくして課税なし」などにまでさかのぼる、統治の基本原則だ。
インフレは政府債務の対GDP比を低下させるが、一方で民間部門の資産も目減りする。特に、家計が保有する銀行預金はインフレで実質的な価値が減少する。これは、家計から政府への資金移転を生じさせるものであり、しばしば「インフレ税」と呼ばれる。
インフレ税は法律に基づくものではないため、憲法が定める租税法律主義に反するという指摘もある(※2)。だがインフレは様々な要因で起こり得るし、インフレによる家計の資産価値の減少が「租税」に該当するかについても議論のあるところだ。そのため、筆者はインフレ税が憲法違反だとは思わない。
もっとも、政府(および日本銀行)が財政健全化のために意図的に過度なインフレを作り出そうとするならば、それは問題であろう。日本国憲法は、第29条1項に「財産権は、これを侵してはならない」とも定める。たとえ政府債務の対名目GDP比が低下しても、高インフレが放置されて国民の銀行預金などの実質的な価値が毀損されるのであれば、憲法の趣旨に反する。
財政健全化に向けては、実質的な経済成長を促し、歳入の増加と歳出の抑制に向けた着実な努力が求められる。インフレ税に頼るべきではない。
(※1)渡辺努・前東京大学教授は、2025年3月10日の経済財政諮問会議で、2%のインフレが続けば1,100兆円の政府債務が9年で実質的に180兆円減少すると指摘している。
(※2)島澤諭・関東学院大学教授は、インフレ税について「日本国憲法が規定する財政民主主義に反するのは明白であるし、租税法律主義や、予算原則にも抵触する」と指摘している(島澤諭「“隠れた増税”インフレ税…財政再建が進んでも、国民の暮らしが貧しくなるワケ」(Wedge Online、2025年9月3日)
(参考文献)
渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治 第2版』日本評論社、2025年
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経済調査部
主席研究員 末吉 孝行