MBA不要論を打ち破れるか

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2024年03月08日

近年、欧米のテクノロジー企業を中心に「MBA不要論」が再び台頭している。電気自動車メーカーのテスラ社などを率いるイーロン・マスク氏は、自社の採用候補からMBA保持者を意図的に除外しているという。MBAは経営や金融の体系的フレームワークを学ぶ機会として有意義な面がある。しかしテクノロジー革命の渦中で求められる先見の明と実行力は、むしろ現場での経験を通じて身に付くものだとする考え方だ。

そのような中、2024年1月末、ロシア人エコノミストのセルゲイ・グリエフ氏がロンドンビジネススクールの第10代学長に就任すると発表された。対ロ制裁の急先鋒である英国において、欧州屈指の国立MBAスクールのトップに、ロシア人が就任したというニュースは、ロシアのメディアでも大きく報じられた。グリエフ氏は、2016年から2019年まで欧州復興開発銀行(EBRD)のチーフエコノミストを務めたこともあり、ロンドンの市場関係者に広く知られていた人物である。

スポーツや芸術界に留まらず、一部の国際機関や大学からもロシア人が締め出されている現状からみると、英国MBAスクールの学長にロシア人が就任したことは、1年前なら信じられない出来事である。2024年2月24日で侵攻から3年目を迎え、対ロ感情の変化が表れた一例である。グリエフ氏がプーチン政権に追われて事実上パリに亡命状態にある人物であるということを差し引いても、英国社会の大きな変化を象徴する出来事で、筆者も驚かされた。

もともと経済移民を広く受け入れてきた歴史をもつ英国では、反移民的な態度を人種差別の表れとして批判し、移民政策の厳格化に反対する風潮が存在する。しかし、筆者が長年暮らしてきた多民族都市ロンドンでさえ、ウクライナ侵攻開始後、ロシア人に対する偏見が雇用や待遇面で顕著に見られた。グリエフ氏の就任は、ロシア人であっても“能力重視”という英国の本来の経済移民受け入れ姿勢が回帰しつつあることを示す証左であろう。グリエフ氏には、MBAが不要だという議論だけでなく、ランキングでスペインやフランスのビジネススクールに後れを取ることが多くなった英国MBAスクールの再興も託されたといえる。

ちなみにロンドンビジネススクールはパートタイムの夜間コースもあり、意欲的な日本人駐在員が自費で通うケースも多い。筆者が同校近くに住んでいたこともあり、リサーチという仕事の性質上、日本人学生から卒業研究のアドバイスを求められることもしばしばあった。学位取得まで10万ポンド(約1,900万円)以上する高額な学費のこともあり、自費で通いつつ駐在業務もこなす駐在員学生は必死に努力し、MBA保持者となっていった。その後、アドバイスした日本人の中には、ロンドンで現地就職し、円安効果も手伝って駐在員時代の何倍もの高給を得ている者もいる。MBA不要論にもかかわらず高額な学費への費用対効果はあるといえそうだ。

イーロン・マスク氏のMBA不要論は、画一的な考え方や既成概念にとらわれない斬新な経営手腕を発揮するための戦略であるともいえる(これはこれで興味深いケーススタディーの題材になりそうだが)。台頭してきたMBA不要論を覆すことができるのか、パリやモスクワの大学でもその手腕を発揮したグリエフ氏のリーダーシップが注目されている。

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菅野 泰夫
執筆者紹介

金融調査部

主席研究員 菅野 泰夫