「プーチンの戦争」を「ロシアの戦争」にしないために

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2022年04月07日

  • 児玉 卓

3月に開催された北京パラリンピックではウクライナ勢が多くのメダルを獲得し、世界は快哉を叫んだ。一方、ロシア(およびベラルーシ)出身のアスリートたちは開会直前になって大会から締め出されることとなった。サッカーやフィギュアスケートの国際大会でも同様の「ロシア外し」が行われ、ロシアが今秋に予定されるサッカーW杯に出場する道は閉ざされた。

では、これら一連の「ロシア外し」に正当な根拠はあるのだろうか?或いは正当性などを問う必要はなく、制裁の一種として無条件に受け入れられるべきなのだろうか?

ウクライナ侵攻という暴挙を止めるために厳しい制裁が必要であることに異論はない。だが制裁はやればやるほどいいというものでもない。やはりその是非の決め手となるのは、それが戦争終結に寄与するのか否かであろう。スポーツ界における「ロシア外し」がプーチン氏にさらなる侵攻を思いとどまらせるなどということが、果たしてあり得るのだろうか?ないとすればウクライナ、或いは国際社会は、それによってどのような利益を得るのだろうか?

「ロシア外し」が妥当かどうかに関しては、もう一つ重要な論点がある。それはロシアが民主主義国家ではないということだ。ロシアにも選挙はある。しかしそれが適正で公正なものであるかどうかには深刻な疑義がある。また仮に選挙そのものでの不正(票の改竄、投票妨害など)がないとしても、ロシアには報道と言論の自由がない。従って人々は正しい情報に基づいて投票することができない。そのような正統性の疑わしいプロセスで形成された政権が下した決定に対して、国民一人一人にその一端でも責任を負わせることは果たして正しいのであろうか?我々はプーチン氏、及び彼の残忍さを知悉しながら追従、ないしは是認している人々と、そのほかのロシアの人々を(操作された情報をもとに「プーチン支持」を表明している人々を含め)明確に分けるべきではないか。

そのように考えるのは、ロシアの市井の人々こそが(もちろん戦禍のただなかにあるウクライナの人々を除けばだが)、「プーチンの戦争」の最大の被害者でもあるからだ。米欧などの厳しい経済制裁もあって、ロシア経済は今後、ソ連崩壊直後の混乱期以降では最悪の経済危機に陥ることが避けられない。中でも輸入の急減などの供給ショック(物不足)に起因するハイパーインフレに人々は苦しめられることになろう。

その時ロシアの人々は、自身の生活水準の悪化を「プーチンの戦争」のコストであると正しく理解するであろうか?そうではなく、それは「非友好国による違法な経済制裁の結果である」とする政権のプロパガンダを相当数の人々が鵜呑みにする可能性はないだろうか?

後者の可能性を完全に排除することができないからこそ、制裁は賢く行われなければならないし、正当性が不明確な、例えば腹いせ的な「ロシア外し」には慎重でなければならない。回避されるべきは、生活水準の悪化に直面した人々の怨嗟がプーチン氏ではなく、諸外国に向けられることであり、究極的には「プーチンの戦争」が「ロシアの戦争」に発展してしまうことである。このような悪しき道筋をつぶしておくことが、戦争を可能な限り早期に終結させるためにも是非とも必要である。我々は安易に感情論などに流されることなく、ロシアの市井の人々を敵に回してしまうことの潜在的リスクを、十分に理解しておくべきだと考える。

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