「帰らざる河」を越えて

RSS

2022年01月01日

  • 理事長 中曽 宏

コロナウイルスの脅威は依然去っていないが、この1年で経済は全体として急回復を遂げたし、パンデミックへの対応についても知見の蓄積が進み未来への橋頭堡が築けたように思う。後世の人々は、コロナに翻弄されたこの2年間をどう振り返るのだろうか。私自身は、新しい世界へ「帰らざる河」を渡った歳月として記憶されることになるのではないかと考えている。

なぜ元の世界へ戻ることがないのか。第一に、働き方が劇的に変わった。組織内の会議はもとより、国際会議の類もオンラインで行われ、わざわざ遠距離を移動しなくても対話を可能とする技術の素晴らしさを実感したのは私だけではあるまい。もちろん真の意思疎通という意味では対面に勝るものはないが、それでも以前のように対面会合を主とする働き方に世の中が完全に戻ることはもはやあるまい。

第二に、私が長く携わった金融政策も「帰らざる河」を渡った。主要国の中央銀行は量的緩和を強化した結果、バランスシートは、リーマン・ショック前に比べ米連邦準備制度理事会(FRB)で10倍、欧州中央銀行(ECB)で6倍、日銀で7倍に膨れ上がった。2021年11月、FRBは主要中央銀行の先鞭をつける形で金融政策の正常化に向かったが、おそらく行き着く先のバランスシート規模はかなりの大きさに留まるだろう。金融調節手段が公開市場操作によるインターバンク市場の需給調節から準備預金への付利を柱とした体系に劇的に変化したためだ。

第三に、脱炭素化やデジタル化の動きが不可逆的かつ加速的に進展している。議論をリードしているのは相変わらず欧州連合(EU)だが、ここへきて中国の動きが目立つ。中国は昨年夏、排出権の電子取引システムを上海で稼働させるとともに、独自のタクソノミーを策定しEUとの相互運用可能性を探っている。グリーン・レースからの脱落は日本経済の埋没を意味する。新たな経済成長の絶好の機会として、また持続可能な社会の構築のための不可欠なステップとして関係者が一体となって積極的に取り組んでいく必要がある。中国では、中央銀行デジタル通貨の導入も近い。これを機に他の国でも開発が加速するだろう。5年後の私たちの身の回りの決済や送金の仕組みはデジタル化が進み、今日とは様相を異にする世界となっていることだろう。

2年に及ぶコロナ禍を経験して見えてきたことは様々あるが、中でもとりわけ重要なのは、人材育成の必要性であると思う。「帰らざる河」の向こうにより良い未来を切り拓いていくのは、結局は人の力だ。新しい時代を担うのは、明確な目標を持ち、高い技術と見識を身に着け、デジタル技術を使いこなしながら国境を越えてコミュニケーション力を発揮し、人生の各ステージにおいて学び続ける姿勢を持った人々だ。そんな次世代を育てる政策にこそ国は貴重な財源を集中配分すべきだろう。私たちシンクタンクも次代を担う人材育成の一翼を担っていく必要がある。

日本は人材という点では全く悲観的になる必要はない。1970年代のオイルショックでも1990年代の金融危機でも、日本経済が危機に直面する度にそれを克服してこられたのは、現場を支える人々の高い技量や職業倫理感があったからこそだと今更ながら思う。人材投資や育成が奏功し次世代が台頭したとき「帰らざる河」の向こうに広がる景色は決して悪いものではないだろう。2022年が、そうした未来への架け橋を築く第一歩となることを願っている。

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。