経済行動を決定するもの

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2021年06月23日

  • 中沢 則夫

「価格は需要と供給の関係で決まる」ことは、中学校で学ぶ。たぶん正しい。

長じて大学に至り経済学を専門に学ぶ段になると、需要曲線や供給曲線をもう少し理論的に定義し、限界効用だとか、利潤最大化の企業行動とか、物価と雇用の関係とか、財政の役割とか、それなりに学ぶ。たぶん間違ったことを学んでいるわけではない。

ただ、それが正しいのなら、何故こうも経済的な問題や事件が間断なく起きるのだろうか? ハイパーインフレ、バブル、市場のオーバーシュート、好況と不況、近未来を予測できないのか? 不幸な事態を予防できないのか? 

これまで経済学者たちは悩み、経済事象の解明に努めてきた。究極の論点は「経済行動のインセンティブは何か?」、「価値(あるいは付加価値)の本質は何か?」の2点である。

アダム・スミスから始まり、マルクスも、ケインズも悩み、そして近代経済学以降も天才たちが多くの理論を打ち出してきた。「外部経済」、「合理的期待形成」、「情報の非対称性」、「制度経済論」、「ゲーム理論」、「経路依存性」等わくわくする議論が無数にある。しかし、誤解を恐れずに言えばそうした経済理論はすべて仮説にすぎない。現実に起きている現象を正確に解明できると期待すること自体が間違いであり、百家争鳴こそ健全な状態だろう。

経済学がすべての事象を貨幣に換算し、利潤最大化を行動原理とするモデルを目指してきたところに問題の所在がありそうだ。確かに、金融市場特に債券市場は比較的理論に近い挙動をするが、株式市場や為替市場は必ずしもそうではない。労働市場や商品市場などはもっと複雑な動きをする。

この方法論では、「慣習」や「感情」に基づく行動も無論のこと、「忖度」や「同調圧力」など英語に訳しにくい行動を解明することはできない。その点で、最近にわかに注目されてきたのが「行動経済学」のアプローチである。特に特定の行動を起動させる「ナッジ(肘で小突くこと)」の分析についての話題が興味深い。

正確に経済行動を読み解くためには、「ホモ・エコノミクス」といわれる強く賢い合理的な経済人をモデルとした机上の議論では完結しない。心の弱さ、恐怖心、虚栄心、劣等感、嫉妬心などそういった人間の本性に対する深い洞察が是非とも必要である。「経済学を志す者は、cool head but warm heart(冷めた頭と温かい心)を持て。」と言ったのは、19世紀末の経済学者アルフレッド・マーシャル。まさに至言である。

まだまだAIには負けない。

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