人的資本の捉え方

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2025年07月30日

  • マネジメントコンサルティング部 主任コンサルタント 神谷 孝

企業を起こすには、まず元手が必要である。真っ先に思い浮かぶのはお金だが、そもそもそれ以前に人が要る。一人で経営していくのであればともかく、通常は何人かと共同で、あるいはより多くの人の力が必要となる。それが人的資本である。

人的資本という言葉が注目されるようになって久しいが、常々、その言葉にどこか居心地の悪さと言うか、もやっとした違和感を持っていた。「企業において人的資本投資の重要性が高まり・・・」など、人的資本と投資を結びつける言説が多いが、果たして人的資本は投資の対象なのだろうか。資本という言葉の意味を考えると、調達の対象ではないのか。

屁理屈と思われるかもしれないが、気になって仕方がない。そこで、資本としての人的資本を改めて捉え直したい。方法として、財務資本との類似性を考えた。財務資本は、自己資本と他人資本とに分けられ、この二者の性質を比較することで、人的資本の輪郭を考察してみたい。究極の問いは、人的資本の資本コストは高いのか、低いのかである。

人的資本のコストを考える前に、まずは、大枠の比較を行う。一見すると、人的資本は株式などの自己資本よりも、銀行からの借り入れといった他人資本に近い。例えば、人的資本と他人資本は、ともに調達先の選択が可能であり、どこから借りるのか、誰を雇うのかを企業側が選択できる。自己資本では、企業は投資家を選ぶことができないという点が異なる。また、借り入れには返済義務が生じ、正社員を採用すれば雇用義務が生じるものの、自己資本では投資家に対する開示義務はあるものの、強い義務は生じない。
また、借り入れの場合は利息を支払う必要があり、人的資本の場合も賃金の支払い義務が生じる。自己資本も投資家に配当を支払うことができるが、その多寡は経営判断によるもので、あらかじめ決められてはいない。
ところで、それぞれの資本が企業に提供される理由は、提供者がその資本の価値が高まることを期待しているからである。これが資本コストである。銀行借り入れでは、銀行は利払いと返済を期待するにとどまるが、自己資本では、投資家は配当や値上がり益といった投資収益を期待する。仮に、期待する投資収益に届かないだろうと判断すれば、投資家は対象企業から離れ、株価は下がることになる。

では、人的資本についてはどう考えるべきだろうか。果たして、人的資本の提供者である人間は、雇用関係が維持され賃金が支払われれば期待に応えたと考えるのだろうか。多くの人は、仕事を通じた満足感や充実感といったウェルビーイングも重要だと考えるだろうし、さらに、仕事を通じたスキルの習得、知識・経験の獲得や人間的な成長、すなわち自己の価値向上も、提供者として期待する大きな要素であろう。財務資本になぞらえると、賃金が配当だとすれば、これらの期待は値上がり益に近い概念とも言える。これらを含め、この企業ではこうした期待に応えられないと提供者が判断すれば、社員のエンゲージメントは低下し、さらにはその資本(社員)は企業から離れていくことになる。
財務資本においては、他人資本のコストは低く、自己資本のコストは高い。人的資本はこの二者の性質を持っており、人的資本コストは両者の間のどこかに位置するのではないかと考える。
さらに、この考え方を社会資本や自然資本に拡張しても面白いかもしれない。財務資本以外の価値は、総称して非財務価値と呼ばれる。気を付けたいのは、我々はどうしても財務資本目線に縛られがちで、人的資本を含む非財務価値も財務に与える影響度として捉えがちなことである。非財務価値は、財務価値に影響する部分があるものの、それぞれの資本の価値はそれぞれの領域に存在する。そうした非財務価値を包含した価値の総体が企業価値となるのだろう。

それぞれの資本の提供者は、提供した資本の価値の最大化を期待している。企業によって高められた価値は、別の主体に提供され、より多くの価値を生む。企業価値の向上は、その企業だけのものではなく、広く社会に還元され、また別の企業の価値を形成していくものであると思う。

参考:「人的資本に関する会計・ファイナンス視点からの考察」中野 誠(一橋大学 経営管理研究科 教授)(J-Stage / 組織科学 / 57巻 (2023-2024) 1号)

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神谷 孝
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マネジメントコンサルティング部

主任コンサルタント 神谷 孝