「サステナブル」と「成長」は本当に両立するのか?

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2020年01月24日

  • リサーチ本部 常務執行役員 リサーチ本部副本部長 保志 泰

「いまさら何言っているのか」とお叱りを受けるかもしれない。そもそも「サステナブルな成長あるいは開発」を目指すのだから、そういう問い自体おかしいということになる。しかし、敢えて問うのは、心の中でそう思っている人が決して少数派ではないと感じるからだ。

今年のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)の主題は「ステークホルダーがつくる、持続可能で結束した世界」(“Stakeholders for a Cohesive and Sustainable World”)とされた。もはや「サステナブル」(持続可能性)は世界の国・企業が共有するキーワードであり、これに異を唱える向きは、まずないだろう。

しかし、「成長」を目指そうとしたとき、意見は途端にまとまらなくなる。気候変動問題がその象徴だ。本気で温室効果ガスの排出量を削減しようと思ったら、世界レベルで成長を抑制するのが最も効果的な方法であることは誰もがわかっている。しかし「成長」を捨てることは、ほとんどの主体が~国も企業も人も~できないのが現実である。「成長」は人々の希望であり、原動力なのである。資本主義で求めてきた金銭的な成長ではなく、別の「豊かさ」の成長でもよいのかもしれないが、いまのところあやふやで皆が納得できる考え方は見当たらない。

とはいえ、ロングスパンで考えれば、サステナブルな世界を実現できなければ、様々な成長の可能性が失われるのも自明である。遠い将来の「成長」に希望を抱いて持続可能性を高める、というナローパスを進むべきという結論になるのだろうか。

一つの問題は、各主体が期待する「成長」のタイムスパンと、実現すべき「サステナブル」のスパンが噛み合っていないことにあるのではないか。もしそれを合致させることができれば、双方を同時に考えることに違和感がなくなり、より推進しやすくなる。国連はSDGsの目標を2030年と設定したが、本来はもっと長期でもよいところを、各主体が視野に入れやすいように15年程度の期間にとどめたようにも思える。一方の国や企業、あるいは人々はどうだろうか。国は客観性を持った超長期のビジョンを示すべきだろうし、企業もよくある3年毎の中期経営計画では短すぎるということになろう。人間は寿命があるから、超長期でものを考えるなら若年層を中心に議論・行動しなくては、他人事になってしまいかねない。

日本には、大企業から中小企業に至るまで長寿の企業が数多くある。創立100年超の企業も決して珍しくはない。それは新陳代謝の少なさと捉えられる場合もあるが、結果的かもしれないが「サステナブル」を目指すことが根付いているようにも見える。自分の会社をこの先100年維持しようとしたとき、いったいどうすべきか、真剣に考えてみるのも社会的価値がありそうだ。

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保志 泰
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