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ネットと監視社会

2019年07月16日

中里 幸聖

いわゆるGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に対する規制が各国で議論されている。一方、デジタル技術を活用した国家による国民の監視への懸念も高まっており、一部の国で実際に“国民のデジタル監視”が実施されているとの報道もある。

国家権力による国民の監視というテーマでは、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1949年刊行)が世界的に有名であろう。「ビッグ・ブラザー」という独裁者の下に党が国民を支配する。現存する某国のようだが、いずれにしても「ビッグ・ブラザー」は特定の人間と庶民は思っている設定である。

一方、日本人かつマンガ好きとしては、竹宮恵子の『地球へ…』(1977~1980年連載)が浮かぶ。『地球へ…』では、「グランドマザー」というスーパーコンピューターに人類は完全に管理されているという設定となっている。さらに「グランドマザー」と直結する「テラズ・ナンバー」という9つのスーパーコンピューターが「グランドマザー」による管理を補完する形となっている。

インターネットが普及するまでは、監視社会の監視する側は、独裁者であれコンピューターであれ一極集中を想定していたと考えられる。しかし、インターネットが普及し、スマートフォンをはじめとする携帯型情報端末が一般化し、SNSで情報が拡散する現在、分散型の情報受発信が可能となった。2010年から始まったいわゆる「アラブの春」は、こうした情報通信技術の発達・普及がなければ、あのような形では発生しなかったとの指摘が多い。

では、『1984年』や『地球へ…』で描かれた監視社会への危惧は消滅したのであろうか。残念ながら、国家権力による監視社会はより巧妙になる可能性が高まっているように思われる。また、市井の人々同士による監視社会が生起し、同調圧力が強まっているのではないだろうか。GAFAに対する規制の議論は、独占の弊害への対処が第一だが、国家権力とは異なる存在による監視社会への警戒もあるであろう。

一方、情報受発信機能を個人が簡単に入手できるようになったことは、「アラブの春」などの国家権力に対抗する活動を以前より容易にしたが、人民裁判的な暴走を招きやすくなっているとも言える。『1984年』や『地球へ…』では、中央の統制された権力による監視が想定されていたが、現実には一般庶民同士の監視社会が現出しつつあるのかもしれない。日頃のネット上での炎上騒ぎやSNSなどを通じたいじめ等を見ていると、絵空事ではないような気がする.

西欧の中世は、宗教的権威等により技術面では大停滞に陥った時期である。しかし、こうした社会的要因による技術停滞が全地球規模で起こるとは考えにくく、人類が存続する限り、技術の発達・普及が止まることはないだろう。「『善悪はそれを用いる者の心にあり』科学者がよく使う詭弁じゃ」という台詞が映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(原作:高橋留美子、監督:押井守、1984年公開)に出てくるが、詭弁であろうがなかろうが技術革新は進む。そうであるならば、人類は技術の発達を阻害するのではなく、技術と社会をどう折り合わせるかに意を凝らすことが重要となってくる。

技術的な可能性が広がるほど、その社会の適応力が試されていると言えよう。我々シンクタンクは、こうした新しい課題を提示するとともに、より良い選択肢を提供できる存在でありたいものである。

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