プーチン政権を揺るがす年金改革の行方について

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2018年10月11日

  • シニアエコノミスト 菅野 沙織

この夏ロシア各地でデモが起きるほど、ロシア国民は政府が提案している年金改革に不満を抱いている。しかし、改革の中核となっている年金受給開始年齢の引き上げは、近年のロシア年金基金(1990年設立)の運営状況を考慮すれば避けられないであろう。現在ロシアでは年金生活者の数は4,350万人に上っており、5年間で7%増加した。その一方、少子高齢化の進行を背景に、年金基金は国家予算からの補助金がなければ慢性的な赤字状態に陥り、現行制度下で黒字に転換する見込みは薄い。現在ロシアの年金受給開始年齢は女性が55歳、男性が60歳であるが、政府はこうした年金基金の現状に照らし、今年6月、女性の受給開始年齢を63歳、男性は65歳へ引き上げることを議会に提案した。これを受けて全国に反対運動が広がり、プーチン大統領の支持率が一時的に低下したため、大統領は改革をめぐる議論への「介入」を余儀なくされた。

ロシアの世論調査会社レバダ・センターによれば、6月時点では男性回答者の89%、女性回答者の90%が年金受給開始年齢の引き上げに反対していた。男性の70%、女性の73%が年金受給開始年齢の引き上げに「強く」反対していると答えたことは、社会全体が「大反対」ムードにあることをうかがわせる。現行制度下の年金受給開始年齢は世界的に見ても若いが、実はロシア人の平均寿命は、先進国と比較してかなり短い。実際、16年時点でロシア人の平均寿命は男性が66歳、女性が77歳であり、特に男性の場合は諸外国の平均寿命と照らし合わせると実に短い。日本のような長寿国はいうまでもなく、ポーランド(男性が74歳、女性が82歳)等と比べても決して長くない。

ロシアの現行の年金制度の原型は、男性の平均寿命が40歳、女性が45歳であった1920年代に形成された。寿命が延びた今、年金の受給開始年齢を見直す必要が生じている。だが、制度が変更されれば、男性の場合、平均寿命と受給開始年齢との差は1年しかないことになる。女性の寿命は男性に比べて長いため、現行制度下では、定年後は年金を22年間、受け取ることになる。定年後も働く権利があるにもかかわらず、引退する人が多く、引退の主な理由は「心身の疲れ」であるとの世論調査結果が出ている。

全国に広がる大規模デモなど、社会の不安定な状況を重く見て、プーチン大統領は8月末にテレビ演説に臨んだ。モスクワでは視聴率が70%弱にまで上がるほど、大統領の見解に対する高い関心があった。プーチン大統領は国民に改革の必要性をアピールした一方、法案へのいくつかの修正を提案した。修正の主なポイントは女性の年金受給開始年齢の引き上げ幅を8年ではなく、男性と同じ5年とし、60歳から(6月時点での政府の提案は63歳)受給開始とすることである。新制度への移行期間は2028年までの10年とされている。さらに、従来は年金受給開始年齢より早く年金を受け取る権利は5人以上の子供を持つ母親のみに与えられていた。しかし、新制度(プーチン大統領案)の下では子供が3人いれば年金受給開始年齢が3年、子供が4人いれば4年引き下げられる。一方、5人子供を持つ母親は今後も現行制度と同様に50歳から年金を受け取ることができる。

9月26日にロシア議会はプーチン大統領の提案に賛成し、法案を採択した。当初の法案と比較すればやや優しい内容にはなっている。だが、新制度への移行による国民の不満を鎮めるには、政府が国民の健康改善と生活水準の引き上げによって寿命を延ばす努力をすることが重要となろうが、それだけでは年金制度の破たんを速めることになる。年金制度の持続可能性の観点からは、高齢者の定年後の再雇用の環境をしっかり整えていくことが極めて重要となろう。

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