空き家対策と所有者不明土地対策で事は解決するのか

—人口減少下の地域社会の課題について—

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2018年08月30日

  • 道盛 大志郎

山陰地方にある両親の家を、この夏休みに訪ねた。3カ月ぶりである。とは言っても帰省とは言えない。そこに両親は住んでいないからだ。むしろ、私が母親を連れて帰り、門をくぐった。父親の要介護度が年々上がり、両親は二人きりで生活することを断念し、昨秋、私が住む東京にほど近い、介護重視型のサービス付き高齢者住宅に移り住むことになったのだ。今回は、旅慣れぬ母親を連れて、無人の故郷への里帰りだ。

サラリーマンだった父親が都会で勤務していた時に生まれた私は、そこに住んだことはない。ただ、祖父たちはずっと住んでいたので子供の頃から馴染んできたし、退職後に戻った父親の元も、何十回も訪ねた。懐かしい気持ちに駆られる。私にとっても、生まれ故郷でこそないが、やはり心の故郷だ。

でも、この家の将来をどうしていけばよいだろう。私の一人息子は、東京で生まれ、東京で育ち、いずれ都会で仕事をしていくことになる。私だってまだ東京で働いているし、ましてや子供が、約400世帯がこぢんまりと住む、馴染みのないこの集落に暮らしていくことなど、到底考えられない。

昔なら、親戚の家から子供の一人を養子縁組みする、などということもあっただろう。しかし、今はそのような時代でない。親戚に頼るにも、子供たちの数は減り、その子らは地方中核都市や他の町に移り住み、親戚の家自体、その将来は定かでない。集落内には空き家と空き地が一杯だ。跡取りが引き継ぐ家は幸せだが、買い手もつかない中で売却もままならず、歯抜け状態は刻々と広がっていく。

私の場合も、空き家のまま放っておくわけにはいかないので、空路で数カ月に一度見回りに行っている。固定資産税や管理費に加えて交通費の負担も馬鹿にならない。除草や修繕など、必要なことはどんどん増えていく。このような手間暇をいつまで続けていくことができるだろうか。

このような問題は、これまでにも多くの人が抱え、その一人一人が悩みながら何とか出口を探してきたことだろう。個人の問題だ、と言われればそのとおりだ。しかし、出口を見出せずに弱り果てた人はたくさんいるし、年月を重ねて記憶が薄れ、放置されたケースはさらに多いだろう。それらの無数のケースの積み重ねが、膨大な数の空き家になり、所有者不明土地になり、社会問題化しているのだ。

私も、自分の家がぼろぼろの空き家になったり、所有者不明土地になったりする事態は絶対に避けたい。そうなったら、近隣に迷惑をかけるし、地域社会を劣化させるし、地元の町にも余計な仕事を増やしてしまう。私だけでなく、同様の悩みはあちこちに生じていることだろう。その中で、この集落は、将来どのような姿になっていくのだろうか。

もちろん、だからこそ政府も、空き家対策法や所有者不明土地利用促進法を制定するなど、対策に乗り出している。しかし、いざ我が身が当事者に置かれてみると、これらの対策の内容はいかにも「お上」的だ。空き家対策法は、適切な管理がされていない空き家の所有者に対し、指導・助言し、改善されなければ勧告し、最後は行政代執行により取り壊して費用を請求する、というものだ。所有者不明土地利用促進法は、公共事業をしようと思っても、その対象地の中に所有者が不明な土地があると、事業の実施が阻害されてしまうので、県などが所有権や利用権を設定できる仕組みを定めている。

どちらも必要な対策だと思う。しかし、悩んでいる人や気付かずにいる人々の事態を手助けしよう、といった視点は全く盛り込まれていない。

1億3,000万人近くに達していた我が国の人口が、41年後には1億人を割るというのが国立社会保障・人口問題研究所の推計だが、県別に見ると、それより遙かに早く、27年後に減少率が4割を超える県はごろごろしている。ベストセラーになった増田寛也氏の『地方消滅』(2014年 中公新書)では、全市町村の半分に当たる896の自治体が「消滅可能性都市」とされた。集落ベースで見れば、もっと惨憺たる数字になろう。国土交通省の予測では、2050年までに、現在人が住んでいる地域のうち2割が「無人化」するとされている。北海道では6割、中四国地方では25%に上るのだ。

人口減少問題の重大性が語られて久しい。経済や社会保障への影響については、将来推計を基に、いろいろな問題について、国民的に議論が尽くされてきた。もとより容易に答を見出せるものではないが、種々の対策がまな板に載せられている。それに比べて、人口減少が人々の町、地域社会、暮らしなどに与える影響については、ベストセラーの登場もあって、危機感は随分出てきたと思うが、必要な対策の検討が十分にされているとはとても思えない。

消滅することになっては大変だから、地方を活性化させる必要がある、というのが決まり文句だが、地方活性化がすべての町村や集落を救ってくれるわけではない。成功する地方が出る半面で、不成功に終わる地方は当然出て来るし、数でいえば後者の方がずっと多いであろう。負け組の地方にとっては、勝ち組の地方へ若者が流出し、惨めさを増幅させるだけかもしれない。私の集落でも、随分たくさんの若者が、中核都市などに出て家を構えてしまった。

明るい未来を切り開ける地方はもちろん増やさなければならないが、そうでない地域のことも考えないといけない。しかし、多くの政治的・社会的発言は、都会人か、地方で生き生きと活躍するエリート地方人によって発せられていて、議論はそれらの人が持つ価値観に流されがちだ。そもそもこの問題は、突き詰めれば突き詰めるほど、当該地域と地方公共団体にとって辛い決断が迫られる可能性が高い。また、国においても、社会保障のように責任官庁が特定されていないし、悲鳴を上げる省庁(財政当局)もない。こうして、ずるずると、見て見ぬ振りだけが続いていく。

でもやっぱり、問題全体を見渡した総合的な対策が必要だ、と思う。それは、お上の視点だけでなく、地域に生活する人々や、困ったり気付かずにいる当事者の視点を踏まえたものでなければならない。お上の視点だけだと、困った人たちと利益相反が生じてイタチごっこになりかねず、困るのは結局地域社会、ということになりかねない。放っておくと、暮らしも治安も環境もひどいことになってしまう危険があるのだ。

暑いだけでなく、ずしりとした重い課題を改めて感じさせられた夏であった。

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