社会保障は誰のためか

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2018年05月31日

  • 道盛 大志郎

5月21日の経済財政諮問会議で、社会保障改革の推進について議論が行われた。そこに提出された資料によると、2040年には、社会保障給付費は190兆円程度(現状より70兆円増)、GDPに占める比率は24%程度(同2%pt強上昇)に達することになる。内訳は、年金と医療に70兆円程度ずつ、介護に25兆円程度、子育てに13兆円程度、などである。社会保障にまつわるお金のやり取りが膨張を続け、国の経済活動全体の4分の1もの金額に及んでいく、というのは凄いことだと思う。これだけのお金の大半が、税金か社会保険料として、強制的に国民の財布から徴収されてしまうのだ。

この膨大な負担を巡って、世の中では、老人のためにたくさんの税金が使われていて若者は割を食っている、だからこれからは、給付の削減と負担の増加を老人に求める一方、不足している子育てなどに税金を回していかないといけない、と言われ、皆がそう信じている。

この見方は、一面では正しいと思う。世代会計といって、ひとりひとりが生涯を通じて政府から受ける受益(社会保障給付など)と、負担(税金や社会保険料)を、世代別に計算しようとする試みがある。いろいろな計算結果があるが、どれを見ても、老人の方が得をしているのは明らかだ。

ただ、それで終わりにしてしまうのでは、あまりに一面的でもあると思う。サービスが提供された結果、誰がどのように受益するか、良く考えてみなければならないからだ。

一番わかりやすいのは介護だろう。確かに、介護サービスを直接に受けるのは老人だ。だから、老人が受益者だ。しかし、子供たちは、親が老人ホームに入ったり、デイサービスに出掛けたり、生活支援を受けることによって、自分の時間ができ、仕事に精を出したり、レクリエーションを楽しんだりしているのではなかろうか。一昔前なら、そんなサービスを受けずに、家族がすべての面倒を見ていたのだ。

年金は、単なる所得の移転で、賦課方式の年金制度が採用されている以上、働く勤労者から老人にお金を回しているだけ、と思われるかもしれない。でも、昔はどうしていただろう。稼ぎの無くなった親は御隠居さんとなり、3世代同居とかをして、子供たちがすべての生活の面倒を見ていたのではなかろうか。今は、その負担がお金の給付として、税金や社会保険料の形で、核家族化して別の世帯をなしている親たちに、流れていっている、ということなのだ。

医療こそはまさに患者本人が受益者で、しかも老人が受ける受益が圧倒的に大きいことも確かだ。一人当たりの年間医療費を見ると、65歳未満は18万円で国民負担は2.5万円、65~74歳は55万円(国民負担は8万円)、75歳以上は90万円(同35万円)となる。ただ、ここにも注釈が必要だ。国民負担が跳ね上がるのは、亡くなる前の数年間で、この間にこそ毎年50万円近くの税金等が使われている。この頃になると、どのような治療を受けてもらうかは、かなりの部分、家族の判断にもなるのではなかろうか。せめて保険の範囲内でできることは治療してもらって最善を尽くしてほしい、というのが、普通の家族の結論になるのでないか。

結局、家族それぞれの生き方やライフスタイル、親子関係をどうして行くかの選択の結果が、社会保障費の使われ方に大きな影響を与えている。そのとき、政府というブラックボックスが媒介することによって、ある意味、負担が見えなくなってしまう、或いは、1億分の1の負担で済んでしまっている、ということではないかと思う。

昔は近親の手で行われていた扶養も介護も、今は社会化して、お金を通じてやり取りされ、しかもその際支払う個人個人の負担は、本当の負担よりはるかに小さい。その一つ一つの積み重ねが社会保障全体の姿であり、将来なのだ。

お金を通じてやり取りすることにしたのに、お金を負担するのは嫌だ、というのでは、制度は成り立たない。いくら老人の受益を小さくしたところで、40年か50年後には、今の若者に全部、ブーメランになって戻ってきてしまう。削ればいい、だけでは終わらないのだ。

お金を負担するのが嫌なら、お金に替えずに済むことは、なるべく替えずにやっていくのも一つの手だ。他にも選択肢はいろいろある。

当たり前のことだが、社会保障制度は、やはり、国民皆のためのものであり、国民皆にとっての持続可能性を如何にして保つか、ということが大切なのだ。しかも、その判断を悠長にしている余裕はない。世代会計で示された「得した老人」の受益超過分は、その人が亡くなればまさに逃げ切りとなって、将来の国民負担として若者の肩にのしかかっていく。

社会保障とその負担の将来像について議論することは、まさに喫緊の課題なのだ。消費税10%以降の世界をどのように考えていくか、受益も負担も、いろいろな選択肢の中から大いに議論すべきだ。政府の取り組みが単なるアリバイ作りでなく、本当の意味での議論がなされていくことを祈っている。

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