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「お値段そのままサイズダウン」から日本の消費税を考える

2018年02月23日

専務理事 道盛 大志郎

我が家で愛飲する牛乳のパックが、気が付くと1リットルから900ミリリットルに小さくなっていた。販売価格は変わらない。関東地方では昨年11月からだが、九州では一昨年9月から、関西では昨年4月から小さくなっていたらしい。新鮮さを保ちやすくするためのパッケージ形状の変更ということだが、メーカーが「横幅が小さくなってお子様や高齢者も持ちやすい」とか、「筋肉への負担が約1割減」と説明したことから、ネットでツッコミが殺到することになった。


よくよく調べてみると、この数年間(モノによっては十数年間)で、私が愛飲するインスタントコーヒーは100g⇒90g⇒80gと小さくなったし、柿ピーも230g⇒210g⇒200gに、ソーセージは170g⇒158g⇒150g⇒138g⇒127gへと変遷を遂げた。妻が愛する板チョコは75gから50gへ、子供が手放せないクッキーは30枚から20枚である。バターもヨーグルトも調味料も洗剤も、似たような事例は枚挙にいとまがない。


こういうのを、英語のshrinkになぞらえて「シュリンクフレーション」と呼ぶのだそうだ。


もちろん、こうした動きの背景には、世帯人員の減少による消費量の小口化とか、ごみの発生量の抑制だとか、社会的な事情や要請の変化があるのは確かだろう。しかし、事実として実質値上げには違いないし、「ステルス値上げ」と揶揄されるのも仕方がない面がある。


ここで思い出されるのが、2016年4月のガリガリ君の値上げだ。1本60円のガリガリ君が70円に値上げされたのだが、その際のCMが大いに話題になった。社長以下100名近い社員がきれいに整列し、25年ぶりの値上げに一斉に頭を下げたCMは鮮烈で、覚えている方も多かろう。NYタイムズが1面で取り上げ、「普通はどこの国でも10円程度の値上げであれば消費者の理解が得られるものだが、今の日本のデフレ状況では値上げすることも躊躇われる」と紹介した。そして、「今の日本では、値上げをすることは、とても勇気のいることなのだ」と総括したのである。


確かに、リーマン・ショック後、先進国は押しなべて低インフレの状況に陥ったが、それ以前は、2%とか3%とか、それなりの上昇率を記録していた。それに比し、我が国ではバブル崩壊後の1994年以降、25年もの長きにわたって、物価上昇率は0%を挟んだ超低位の状況にあるのであって、まさに別格である。この中で値上げを敢行することはあまりに目立ち、蛮勇を要することなのだ。


翻って消費税である。多くの人が日本の財政状況は持続的でないと危惧する中にあって迷走を続けてきたが、今漸く、来年10月の10%への引き上げが見えつつある。しかし、その先のことは、政府内の誰も考えているようには思えない。確信犯の財務省ですら、悲願の10%実現の障害になるまいと、貝のように押し黙ったままだ。


そもそも消費税は、生まれる前から日本政治にとっての鬼門だった。前身の「一般消費税」導入を1979年1月に閣議決定した大平内閣は、その後撤回したものの直後の総選挙で惨敗し、1987年2月に「売上税法案」を提出した中曽根内閣は、統一地方選挙で敗北した後、廃案に追い込まれた。1989年4月に3%の「消費税」を創設した竹下内閣は、その後リクルート事件もあって、6月には辞任に追い込まれた。1994年2月に7%の「国民福祉税」構想を発表した細川内閣は、翌日撤回に追い込まれた後、4月に退陣した。


その後もいばらの道は続く。消費税の5%への引き上げを決めた社会党の村山内閣を引き継いだ橋本内閣は、1997年4月から引き上げを実施したものの、その直後に山一証券破綻などの金融危機とアジア通貨危機に見舞われて、散々な悪評を浴び、翌年7月の参院選に敗れて辞任した。10%までの2段階引き上げの増税法を2012年8月に成立させた民主党の野田内閣は、11月の総選挙で惨敗し、退陣に追い込まれた。まさに政治家にとって、死屍累々の歴史である。


こうした我が国での苦難の経過を見てきた私は、欧州に住んでみて驚愕した。いとも日常的に(?)、各国が毎年のように付加価値税率を引き上げていたからだ(もちろん、政治的に困難な議論をしっかり行った上のことだが)。その結果、今では欧州のほとんどの国で、付加価値税率は20~25%となっている。


一方、25年間のデフレ時代を過ごし、日本の生活者の目は一層研ぎ澄まされている。消費税を総額表示にしたところで騙されるような柔な消費者ではないし、容量を減らしてステルス増税をするような裏技は使えない。まさにガチンコで、どうするかを議論していかないといけない。どんな政権だろうと、思わず引いてみたくなるのは当然だろう。でも、これからの日本やこれからの世代のことを考えれば、決して放っておくべき問題でないことに、多くの人は気付いている。


望みはある。ガリガリ君の値上げに対しては、「よく耐えた」、「100円でもいい」との声が多数寄せられ、値上げが行われた2016年度の売り上げ本数は、4%増となった。最近では宅配便の値上げについても、消費者の理解が進み、他業界から羨望(?)の眼差しで見られているという。要は、如何にして国民の理解が得られるのか、だ。それも、多数の人々が心底から腑に落ちるような過程と結論でないといけない。


今進行中の消費税率の引き上げに向けた議論が始まったのは、福田政権下の2008年1月に社会保障国民会議が設置されてからだ。法律の成立が12年8月、これから順調に進むとして引き上げが完了するのは19年10月。実に、12年近い月日を要することになる。随分長い時間が掛けられた訳だが、多くの国民が腑に落ちるような議論ができていたとは評価しにくい。この間、リーマン・ショックと東日本大震災という歴史に残る2大ショックがあり、自民党⇒民主党⇒自民党という2度の政権交代があり、この間の総理は6人に上る。長い年月と多くの混乱の中で、議論は細切れになり、最後は負担増の恨みだけが刻まれた。


長期政権が続き、戦後2番目の長きにわたり景気回復を続ける現在の環境は、国家百年の計を論ずる絶好の機会だ。受益と負担をじっくり論じ、若者も老人も自分が拠って立つ状況を良く理解し、負担を増やすか受益を減じるか、腑に落ちる合意を作っていかないといけない。社会保障制度を本当に小さくしていけるのなら、容器を小さくして値段を据え置く選択肢があっても良い。考えるべきことは一杯あるのだ。


困難なことは百も承知だ。でも、悠長に構えているわけにはいかない。福田総理が10年前に下したような決断が、少しでも早くなされることを願っている。


(※1)以上についての筆者の主張に興味のある方は、「消費増税の凍結と使途変更の対決では何も解決したことにならない」(大和総研調査季報2017年10月秋季号Vol.28)を参照ください。

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道盛 大志郎

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